耕助はにこにこ笑いながら、
「どうです。三郎さん。あなた何かご意見がおありじゃないのですか」
「僕……」
雨戸の中を覗いていた三郎は、いくらかあわて気味の眼で耕助のほうを見ると、
「僕が……? どうしてですか」
「あなたはなかなか熱心な探偵小説のファンらしいじゃありませんか。探偵小説のトリッ
クをお解きになる知識で、この事件の謎が解けませんか」
三郎は少し赧あかくなったが、それと同時に、かれの眼には相手を蔑さげすむような色
がかすかに浮かんでいた。
「探偵小説と実際とでは違いますよ。探偵小説の場合は、犯人が登場人物のなかに限定さ
れていますが、実際の場合はそうは問屋が卸しませんからねえ」
「そういえばそうですね。しかしこの事件の場合は、犯人が三本指の男と限定されている
ようじゃありませんか、そうじゃないのですか」
「そ、そんな事、僕にはわかりません」
「あなたもやはり探偵小説の読者ですか」
かたわらから隆二がおだやかに言葉をはさんだ。かれの顔には特別の感情は現われてい
ないようであった。
「ええ、読みますよ。あれでなかなか役に立つことがありますからね。むろん実際の場合
と小説とではちがいますが、ああいうものの考え方、理詰め一方で押していく考え方は、
どんな生活にも役に立つものです。殊にこの事件は『密室の殺人』ですからね。僕いま脳
味噌を総動員して、これに似た探偵小説はないかと考えているところなんです」
「密室の殺人というと?」
「つまりね、内側からちゃんと錠がおりていて、絶対に犯人の逃げ口のない部屋、そうい
う部屋の中で起こる殺人事件なんです。探偵作家はこれを不可能犯罪と呼んでいますが、
その不可能をいかにして可能にするかということに、作家たちは魅力をかんじるんです
ね。たいていの作家がこれを書いておりますよ」
「なるほど、それは面白そうですね。で、どういうふうに解決するんですか。その中の
二、三を話してくれませんか」
「そうですね。それは三郎さんにお聞きになったらいいでしょう。三郎さん、密室の殺人
を扱った探偵小説の中では何が一番面白いですか」
三郎はまた蔑むように薄笑いをうかべた。それから兄の顔を見ながらいくらか臆病そう
にこういった。
「そうだなあ。僕はやっぱりルルーの『黄色の部屋』だなあ」
「なるほど、やっぱりねえ。あれはもうクラシックだが、永遠に傑作でしょうねえ」
「その『黄色の部屋』というのはどういうんですか」
「それはこうです。内側から閂かんぬきのおりた部屋のなかでお嬢さんが瀕死の重傷を負
わされる。その悲鳴をききつけて、お嬢さんの親爺と召使いの二人が駆けつけ、ドアを
破って中へ入ったところが、部屋の中は血みどろで、お嬢さんはひどい傷を受けている。
それにも拘かかわらず犯人は部屋にいない、と、こういうんです。この小説が何故傑作と
よばれるかといえば、その解決に機械を使っていないからなんです。密室の殺人を扱った
探偵小説も沢山あるが、たいていは機械的なトリックで、終わりへいくと、がっかりさせ
られるんですよ」
「機械的トリックというと?」
「つまり錠だの閂だののおりた部屋の殺人なんですが、結局は犯人がある方法で、──針金
だの紐だのを使ってですね。──あとから錠だの閂だのをおろしておいたというんです。こ
ういうのはどうも感心しませんね。三郎さん、あなたはいかがですか」
「そうですねえ。僕ももちろんその説に賛成ですが、『黄色の部屋』のようなトリックは
なかなかありませんから、機械的な奴でもものによっては我慢することにしているんで
す」
「例えば……?」
「例えばカーという作家がありますね。この人の小説はほとんど全部が密室の殺人か、あ
るいは密室の殺人の変型なんですが、この変型のほうにはなかなかよいトリックがある。
『帽子蒐しゆう集しゆう狂きようの秘密』という小説などは素晴らしい独創的なトリック
ですが、厳密な意味での密室ものとなると、やはり機械的になるんです。しかしさすがに
カーだけあって、針金だの紐だのであとからドアをしめたなんてインチキはやらない。
『プレーグ・コートの殺人』など、やはり機械的トリックですが、それをカモフラージす
るために、苦心惨憺、凝りに凝っているので、僕は、大いに作者に同情を持っているんで
す。機械的トリック必ずしも軽蔑したものじゃありませんよ」
三郎は得意になって喋舌しやべっていたが、急に気がついたようにあたりを見回すと、
「おやおや、お喋舌りをしているうちにすっかり暗くなっちまった。どうも探偵小説の話
になるとつい夢中になるんですね」
三郎は急に寒そうに身をすくめると、薄暗がりのなかにある耕助の顔を、狡ずるそう
な、探るような眼で眺めていた。……
一柳家で第二回目の琴が、鳴ったのはその晩のことである。