「なるほど、それで今度の事件について何か心当たりがおありだとのことでしたが」
白木静子は力強く頷うなずくと、枕元のハンドバッグを引き寄せて、中から二通の手紙
を取り出したが、先ずその中の一通を警部に渡した。
「どうぞ、これをご覧下さい」
警部が手にとって見ると、それは、久保克子から白木静子に宛てたもので、日付を見る
と十月二十日、即ち一か月ほど前の手紙であった。警部は耕助と顔を見合わせて、ちょっ
と息をのんだが、すぐ急いで中身を引き出した。それはだいたい、つぎのような意味の手
紙だったということである。
お懐しき静子姉さま
この手紙をしたためますにあたって、克子は先ずお姉さまにお詫びしなければならぬこ
とがございますの。結婚まえの秘密は一切闇のなかに葬ってしまわなければならぬ。それ
を打ち明けることは、決して夫婦生活を幸福にする所以ゆえんではないというお姉さまの
御忠告。克子はとうとうそれを裏切って、あの呪わしいTとのいきさつを一柳に打ち明け
てしまいましたの。でもお姉さま、御心配なさらないで下さいませ。克子、いまそのこと
を後悔してはおりません。一柳も一時はたいへん驚いたらしいのですけれど、最後にはや
さしく許してくれました。むろんこの事は、──克子の処女でなかったということは、一柳
の心に暗いかげを投げたにちがいありません。でもわたし、ああいう秘密を抱いて、始終
うしろめたい気持ちでいるよりは、この方が幸福な結婚生活に入れるのではないかと思っ
ていますの。あの人の心にどういう影を投げたにしろ、克子、自分の努力と愛情で、きっ
と、それを吸いとって見せようと思っています。ですからお姉さま、どうぞ、どうぞ、御
心配下さらないで。
あなたの克女より
警部と耕助がその手紙を読み終わると、静子は、すぐに第二の手紙を渡した。それは十
一月十六日の日付、即ち結婚式の日よりかぞえて九日まえに書かれたものであった。
お姉さま
克子はいま思い乱れております。昨日克子は叔父さまと二人で大阪の三越へ参りまし
た。(お姉さまのところへお寄りしなかったことお許し下さい。叔父さまが一緒だったも
のですから)わたしたち婚礼のための買い物に参ったのですけれど、お姉さま、そこでわ
たし誰と出会ったとお思いになって? Tに出会ったのです! ああ、その時の克子の驚
き! お姉さまお察し下さいませ。あの頃から見るとTはずいぶん変わっていました。ず
いぶん荒すさんでおりました……一見して与太者とわかるような青年を二人連れて……私
は真っ蒼になってしまいました。心臓が氷のように冷たくなって体が細かくふるえまし
た。むろんわたしは口を利く気など毛頭ありませんでした。それだのに、それだのに……
Tは叔父さまの油断を見すまして、わたしのそばへ近寄って来ると、にやにやしながら耳
のそばで、こんな事を囁いたのです。お嫁入りするんですね、お目出度う……と。ああ、
その時の克子の屈辱と羞しゆう恥ち、……お姉さま、わたしはどうしたらいいのでしょ
う。六年以前、ああして別れて以来、克子は一度もあの人に会ったことはありませんでし
た。克子にとってはあの人は、もう過去の墓穴に入った人も同じだったのです。一柳にも
そう話し、それだからこそ一柳も許してくれたのです。わたしたちはもう二度と、Tとい
う名前を口にしないと誓ったのです。それだのに、今となってTに出会うなんて、……む
ろん三越の交渉はそれきりで、Tはそのまま見向きもしないで立ち去ってしまいましたけ
ど……お姉さま、お姉さま、わたしどうしたらいいのでしょう。
克子より
二通の手紙を読み終わったときの、警部の昂奮は、大きかった。