「今年はもうすんだの?」
「いえ、まだで……実は毎年十一月二十五日ときまってるんですが、今年はほら、一柳さ
んとこにお目め出で度たがあって、みんな手伝いにいかなきゃならねえもんだから、来月
の五日にのばしたんです」
耕助はなぜか失望の面持ちで、
「ああ、そう、そして一柳さんとこでも、その事は知ってるんでしょうね」
「へえ、そりゃもう。この池は元来、一柳さんの先代の、作衛さんの力で出来たもんです
から、池干しをする時にゃ一番に一柳さんとこへお許しを願いにいくんです。なに、そ
りゃもう恰好だけですが、そういうしきたりになっておりますんで」
「そ、そ、そう、いや有難う」
その男に別れると、二人はまたぶらぶらと崖沿いの路をのぼっていった。銀造は何もき
かなかったが、しかし、耕助がなにを求めているか知っているらしく、黙々としてついて
来る。やがてまた崖が少しカーヴしていたが、その曲がり角まで来たとき、突然、
「あ、あれはなんだ!」
耕助が叫んで足を止めた。
崖を曲がったすぐ向こうに、狭い平地があって、そこに畳一畳じきよりも、少し大きい
ぐらいの、粘土で塗りかためた蒲かま鉾ぼこ型がたの一種の構造物があった。それは炭焼
きがまなのである。
この辺では本業として炭を焼く者はない。町や村が近いから、炭に焼いて出すよりも、
割り木として出すほうが勝負が早いからである。しかし百姓でも少し工く面めんのよいと
ころでは、自家用として炭を焼く。そういう人たちはめいめい自分で煉瓦を積み、土を
練って、炭焼きがまを築くのである。自家用だから規模も小さく、六、七俵からせいぜい
十二、三俵焼けるのが関の山で、そういうかまは畳一畳より少し広いぐらい、高さもせい
ぜい大人の胸まであるかなしかである。
耕助がいま見つけたのは、そういうかまの一つだったが、ちょうど炭が焼きあがったと
ころと見えて、かまの中からまだ棒のままの炭が盛んに外へとび出して来る。耕助はそれ
を見ると急いでかまのそばへ駆けより、身をかがめて狭い入り口から中をのぞいた。かま
の中では頰ほお冠かぶりをした男が、四つん這ばいになって炭の破片をかき集めている。
あらかた炭は外へ放り出したあとらしかった。
「君、君」
耕助が声をかけると、その男はびっくりしたように、暗いかまの中でこちらを振り返っ
た。
「ちょっと訊ねたいことがあるのだが、こっちへ出て来てくれませんか」
その男はしばらくもぞもぞしていたが、やがて炭の破片を一杯いれた灰ふごをかかえた
まま、四つん這いになってかまの中から出て来た。顔も手も炭の粉で真っ黒になって、眼
ばかりぎょろぎょろ光らせている。
「へえ、何か御用で?」
「この炭だがね。君がこのかまに火をつけたのはいつのことなの。これは大事な事なんだ
から、正直にこたえてくれませんか」
田舎ではちょっと変わったことがあるとすぐ村じゅうに知れわたってしまう。この小柄
な風采のあがらぬ、よれよれの袴をはいた青年が、有名な探偵だそうなということは、昨
日のうちに村じゅうに知れわたっていたから、そういわれると炭焼きの男は、どぎまぎし
ながら、節くれだった指を折ってかぞえた。