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本陣殺人事件--本陣の悲劇(1)_本陣殺人事件(本阵杀人事件)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3335

本陣の悲劇

「で……」

 火鉢をとりまいたまま一同は、長いことそこに黙りこんでいたのだが、やがてぼそりと

そういったのは銀造氏だった。古井戸の中へ石でも落としたような陰気な声だった。

「で……?」

 金田一君がにこにこしながら銀造氏の顔を見る。そのとたん警部が一膝ゆすり出た。

「つまり賢蔵氏は自殺したというんですね」

「そうですよ」

「克子を殺して、そのあとで自殺したんだね」

 銀造氏がうめくように呟いた。隆二さんは深く首をたれていた。

「そうなんですよ。それで実はF先生に来ていただいたんですが、先生、最初に二人の体

を調べたのはあなたでしたね。どうでしょう、その時の賢蔵氏の死体の位置や体の傷と、

私のいまの実験とのあいだに、矛盾したところがあるでしょうか」

「つまり、自分で二、三か所体に傷をつけておいて、そのあとで心臓を貫いたというんで

すね。もちろん、いまのような装置を賢蔵氏がしておいたとしたら、それは不可能なこと

じゃありませんね」

「じゃ、矛盾はないのですね」

「まあ、ないと思います。しかし問題は、賢蔵さんがなぜそんなことをしたかということ

ですね」

「それなんだよ、金田一君、賢蔵氏はなぜまたそんなことをしたのだ。結婚式の晩に花嫁

を殺して自殺する。それはよくよくのことですよ。賢蔵氏はなぜそんな事をしたんです」

「警部さん、その事ならあなたもご存じの筈じゃありませんか。今朝白木静子という婦人

が語ってくれた事実、つまり克子さんが処女でなかったという秘密、それが今度の事件の

直接の原因なんですよ」

 警部は大きく眼を瞠って、嚙みつきそうな顔をして金田一君を睨んでいた。それから呼

吸をはずませながらこういった。

「しかし、しかし、それしきの事で……女が処女でなかったら、そしてそれが気に入らな

かったら、破談にすればいいじゃないか」

「そして親戚じゅうの物笑いの種になってもかまわないとおっしゃるのですか。そうで

す、ふつうの人間ならそれで辛抱出来たのです。しかしそれが出来なかったところに、賢

蔵氏の大きな悲劇の原因があったのですよ」

 それから金田一君はゆっくりと、つぎのようなことをいったのである。

「警部さん、私がいまお眼にかけた種明かし、あれはなんでもないことなんですよ。たい

ていの手品の種明かしというものは、分かって見ればああいうふうに、あっけない、むし

ろ子供騙だましみたいなものです。だからこの事件のほんとうの恐ろしさは、いかにして

ああいうことが行なわれたかという事より、なぜああいうことが行なわれなければならな

かったかという事にあるんです。そしてそれを理解するためには、先ず何よりも賢蔵氏と

いう人の性格と、それから一柳家の雰囲気から理解してかからねばなりません」

 金田一君は隆二さんをふりかえりながら、

「ここに賢蔵さんを一番よく識っていらっしゃる筈の隆二さんがいらっしゃるから、私の

言葉が間違っていれば訂正して下さると思います。私は昨夜賢蔵さんの日記を、かなり丹

念に読んでみたんですが、私が非常に興味を感じたのは、そこに書かれている事柄より

も、日記そのものの扱いかたなんです。いったい日記というものは、一年三百六十五日、

必ず一日に一度は開くものだから、どんなに几帳面な人の日記でも、多少は綴じがゆるん

だり、ページの角がいたんでいたり、また、たまにはインキのしみがつくとかしているも

のです。ところが賢蔵さんの日記に限って絶対にそんなことはない。まるでいま製本した

ばかりのようにきちんとして清潔なんです。それでいて日記を怠っているかといえば、ど

うしてどうして、実に克明につけていられるんです。しかもその文字というのが、一字一

画もゆるがせにしないような細い、チカチカした書体で、見ているとその書体だけで切な

くなって、息切れがして来るような感じなんです。それだけでも賢蔵さんという人がいか

に神経質で潔癖な人だったかわかるんですが、この事については更に女中のお清さんがこ

んな事を話してくれましたよ。これはほんの一例なんですが、このお宅へ客が来て火鉢を

出す、その火鉢に少しでも客の手がふれる。すると賢蔵さんは後でその部分をアルコール

で消毒しなければ気がすまなかったそうです。こうなると潔癖というよりも、病的としか

思えません。つまり賢蔵さんという人には、自分以外の人間はすべて穢きたならしくて不

潔に思えて仕方がなかったのです。こういう性質と、もう一つの賢蔵さんの大きな特徴、

それは日記を読めばすぐ分かることですが、感情の起伏が非常に大きい。つまり極端から

極端へうつる性質なんです。よく愛憎の念ただならずというようなことをいいますが、賢

蔵さんの場合はそんな生なま易やさしい言葉ではいい現わせないほどそれが深刻なんで

す。生涯の仇敵……ああいう言葉を無造作に使われるところを見ても、この事はよくわか

ります。それからもう一つ、この人は非常に正義感の強い人であった。この事はふつうな

らば人間の長所であるべき筈なんですが、賢蔵さんに限って、それが長所というよりも短

所として数えられる場合のほうが、多かったのじゃないかと思う。つまりあまりそれが強

過ぎるために、性格のうえに余裕というものが全然なかった。不正や欺ぎ瞞まんに対し

て、自分を責めることも大きかったが、他人にむかっても厳格に過ぎるきらいが多かった

ようです。それから、そういう正義感の強い人だけに、こういう農村の大地主という地位

に対して常に疑問を抱いていられた。封建的色彩の強い思想や習慣に対しても、はげしい

憎悪を持っていられた。ところが不思議なことにはそういうふうに嫌悪していながら、で

は、この一柳家で誰が一番封建的だったかといえば、実は賢蔵さんご自身だったのです。

一柳家の家長であるという権威、本陣の末裔であり大地主であるところから来る暴君性、

それを非常に多分に持っていられて、他人がその尊厳を冒すと強い不愉快を感じられた。

つまり賢蔵さんという人は、そういう矛盾にみちた人格だったのですね」


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