そんなことをするのは今まで軽蔑しきっていた親戚じゅうの人たちに、はっきり兜かぶ
とをぬぐのも同然ですからね。では名義上の妻として、親戚の眼を欺いていいか、それま
た賢蔵氏には出来ない理由があった。と、いうのは、結婚式の数日まえに、克子さんが大
阪のデパートで、田谷という男に遇っていることです。田谷という男がどういう人物か、
これはわれわれにも分からないと同様、賢蔵氏にも分からなかった。あるいはその男、昔
の関係を種にゆすりに来るような人物ではないかも知れない。しかし、賢蔵氏ははっきり
とそうした保障を受けるわけにはいかなかった。かりに、克子さんを名義上の妻として、
表面を糊こ塗としているところへ、田谷という男がやって来たとしてごらんなさい。どん
な不面目な事態が起こるか──それを考えると、賢蔵氏は、とてもそういう冒険は出来な
かったでしょう。だが、この殺人の動機は、そういう現実的な問題より、もっと深いとこ
ろ、即ち賢蔵氏の性格にあったのではないかと思う。おそらく賢蔵氏は、自分をこうい
う、のっぴきならぬ立場におとしいれた克子さんに対して、はげしい憎しみを持っていた
にちがいない。そういうけがらわしい体をもって、のめのめと自分の妻となろうとした
女。──それに対して、賢蔵氏は名状することの出来ない憎悪を抱いていたのでしょう。し
かも、賢蔵氏の性格として、自分がそういう憎悪を持っていることを、克子さんに知られ
ることすら懼おそれたにちがいない。つまり、賢蔵氏のお父さんや叔父さんにあった感情
の激発は、賢蔵氏の場合には、胸中深くひそみ込んで、ああいうネチネチとした陰険な回
りくどい計画となって現われたのですね。つまり、ふつうの人間にとって不自然に見える
この動機も、賢蔵氏の性格と、本陣の末裔というこの家の雰囲気から見れば、少しも不自
然ではない。いや、むしろ避くべからざる動機となったのですよ。で、結局、ああいう方
法をとるよりほかに仕様がなかった。しかも表面は、あくまで自分の主張をとおしたよう
に見せかけなければならないから、婚礼の式だけは挙げなければならぬ。しかし、事実上
の夫婦になることはまっぴらだったのですから、あの瞬間をえらぶよりほかはなかったの
です」
「つまり心中ということになるのですか」
「心中……? いや、おそらくそうじゃないと思います。これは悪意と憎しみにみちた、
ふつうの殺人事件なんです。自殺が目的じゃないのですからね。自分をこういう、のっぴ
きならぬ立場におとしいれた克子さんに対するはげしい憎しみ。──それが昂こうじて、克
子さん殺しの計画に成長していったんです。ただ、犯人が非常に聡明だったから、どんな
巧妙な犯罪も、結局は露見しないではおかぬということを知っていた。いや、たとい露見
せずとも、あの人の良心、正義感が殺人犯人としての自覚に長く耐えていけないだろうと
いうことを、自分でちゃんと知っていた。だから警察の手の及ばぬうちに、自分の良心に
破は綻たんを来さぬまえに、さきくぐりをして、自殺してしまった、というほうが当たっ
ているのではないでしょうか。つまりこれはふつうの殺人事件や探偵小説と、順序が少し
逆になっているだけのことなんです。ふつうの場合は第一に殺人が起こる、第二に警察や
探偵が活躍する。第三に犯人がつかまって、自殺する。と、こういう順序になるのです
が、この事件の場合では、第二と第三が逆になっているだけなんです。だから、犯人が自
殺していたからって、この事件を軽く見るのは間違っていると思う。犯人はあくまで克子
さん殺しを自分のせいでないように見せかけているのですし、更に自分の自殺でさえも、
自殺でないように見せかけているのですから、悪あく辣らつといえばいっそう悪辣という
ことが出来ると思う」
「自殺と思われたくなかったのは、やはり親戚に兜をぬぎたくない。それ見たことかと、
親戚や良介さんにも嗤われたくないという考えからなんですね」
「そうです。そうです。この事件の謎はすべてそこから出発しているんです。つまり本陣
の悲劇なんですね」