金田一君はノートに眼を落とすと、
「今度の事件の最初の幕は、十一月二十三日に切って落とされているんですね。即ち、結
婚式の前々日の夕方、不思議な三本指の男が、役場のまえの川田屋へ現われた──あの瞬間
から、こんどの事件は活動に入っているんですよ」
「そうだ、あの三本指の男は、一柳家といったいどういう関係があるんです」
警部が思い出したように膝を乗り出した。
「警部さん、あの男は一柳家とはなんの関係もない人物ですよ。ただ通りがかりの男に過
ぎなかったんです」
「しかし、耕さん」
と、銀造氏は眉をひそめながら、
「その男は飯屋のおかみさんに、一柳家へ行くのはどういけばよいかと聞いているんじゃ
ないか」
「そうです。しかしおじさん、あの男がほんとうに聞きたかったのは、一柳さんの家では
なく久──村へ行く道だったんですよ。その事は今朝、川──村で警部さんに実験してお眼
にかけたんですがね」
警部はそこで大きく眼を瞠った。金田一君はにこにこしながら、
「あの男が遠いところから来たらしいということは、みんなの意見が一致していますね。
そこであの男が汽車でやって来て清──駅でおりたと考えます。そこであの男は久──村へ
いく道を訊ねるんです。そういう場合、訊かれた人はどういうふうに答えるでしょう。清
──駅付近から久──村まで二里あまりある。ひと息に教えるのはなかなかむずかしい。そ
ういう場合、人は先ず手近な場所を教え、その辺へいってもう一度きけと教えるのがふつ
うです。そこであの男は川──村までやって来てもう一度訊ねた。それを今朝私は実験して
みたのですが、私に道を教えてくれた煙草屋のおかみさんはこういうふうにいいました
よ。──この道をまっすぐ行けば岡──村の役場のまえに出る。そのへんで一柳さんときい
てごらんなさい。大きなお屋敷だからすぐわかる。その一柳さんのまえの道をまっすぐ行
けば、山越しに久──村へ出られると。──あの三本指の男もそういうふうに教えられて役
場のまえまでやって来た。そこであの飯屋のおかみさんに、一柳さんの家をきいたので
す」
警部も銀造氏も隆二さんも、思わず大きな呻き声をもらした。
無理もないのである。いままで関係者一同をなやましていたあの三本指の男と一柳家の
関係は、そんな些細なことだったのか。
「そうなのですよ。その時まであの男は、一柳家とはなんの関係もない人物だったので
す。ところが、それから間もなく、急にその男がこんどの事件に入って来るようになっ
た。というよりは、賢蔵氏の計画のなかへ落ちこんで来たといったほうが当たっているで
しょう。さて役場のまえを立ち去ったその男は、そこからすぐにこのお屋敷のまえまで
やって来た。来てみるとなるほど大きなお屋敷だ、しかもそこの主人がちかごろ若い娘と
結婚しようとしている──と、そんなことをいま耳にしたばかりですから、ちょっとなかを
覗いてみる、というのはそういう場合、誰でも起こす好奇心でしょう。そしてそこを近所
の人に見つかって、照れかくしにとってつけたように久──村へ行く道を訊ねた。これもま
たごくしぜんな行動です。だからあの時、久──村への道をきいたのは、動機としてはばつ
の悪さを誤魔化すためだったんでしょうが、決して心にもないことをいったわけじゃな
かったのです。実際、久──村へ行くつもりだったのですから。ところが皆さんもお気づき
でしょうが、道はここから急に坂になっている。そして、あの男が非常に憔しよう悴すい
していたということは、誰の意見も一致している。その男は坂へかかるまえひと休みした
くって、しかしああいううさん臭い風態ですから、ひと眼にかからぬところで休みたく
て、うしろの崖へ這いのぼっていった。というのもこれまたごくしぜんな行動だったで
しょう」
「そして、そこを賢蔵氏に殺されたのですか」