「恐ろしいことですね。それが計画に計画されたものだけにいっそう恐ろしい気がします
ね。賢蔵氏はあの水車が回転しはじめるまで、じっと寝床のなかで待っていたんです。そ
してその音がきこえはじめた瞬間むっくり起き上がると、便所へいくふりをして、押し入
れのなかから抜き身をさげて来る。克子さんをズタズタに斬り殺す。琴爪をはめて琴をひ
く、屛風に血にそまった琴爪の跡をのこす。この琴爪の跡をのこしたということは、私に
もちょっと、愉快なんですよ。それは賢蔵氏自身の指紋を、かくすためというよりも、む
しろ、あの人の、几帳面さを現わしているんじゃないかと思う。すでにして琴糸と琴柱を
使った。あに琴爪を使わざるべけんや、そういう気持ちじゃなかったでしょうかねえ。さ
て、それから琴爪を手洗い場へ捨て、そのついでに、欄間のところまで引いてあった琴糸
をひっぱって来て、そこでいま私が実験してお眼にかけたような方法で自殺した。そして
首尾よくここに奇怪な本陣殺人事件が出来上がったわけですよ」
一同はシーンと黙りこんでいた。寒さが急に身にしみて私は思わず身み顫ぶるいした。
するとほかの人たちも、それが感染したのか、いちように肩をすぼめて体を顫わせた。だ
がその時、隆二さんがふとこんなことをいったのである。
「だが、兄はなぜ雨戸をあけておかなかったのだろう。そとから犯人が入ったと思わせる
には、その方がしぜんだったろうに」
隆二さんのその呟きをきいたとたんである。金田一君が実に、実に猛烈にもじゃもじゃ
頭をかきまわしたのは。──そしてまた恐ろしく吃りながら、こんなことをいったのであ
る。
「そ、そ、そ、それですよ。わ、わ、わ、私がいちばんこの事件に興味をかんじているの
は……」
それからあわてて冷え切った茶をのむと、いくらか落ち着いた口調になり、
「賢蔵さんもむろん、そのつもりだったんですよ。ところが思いがけない事態が起こっ
て、賢蔵氏の計画が無茶苦茶になってしまったんです。思いがけない事態というのは、ほ
かでもない、あの雪ですよ。ねえ、おわかりですか、あの人は、玄関につけたと同じ靴跡
を、西側の庭にもつけておいたんです。そこから犯人が逃げたと思わせるように。ところ
が雪がすっかりその靴跡を埋めてしまった。では、改めて靴跡をつけようか。いや、それ
は不可能です。なぜって、あのボロ靴は御用ずみとばかりに、炭焼きがまの煙突のなかへ
突っ込んでしまったのですからね。すでにして雪の上に足跡なし、雨戸をあけておいたと
ころで、それなんの意味をなさんや。ええいっ、いっそ密室の殺人にしてしまえ──と、
思ったかどうかわかりませんが、それが、雨戸をあけておかなかった原因だろうと思うの
です。つまりこれは犯人が計画した密室の殺人ではなく、犯人にとってはまことに不本意
ながら、密室の殺人にせざるを得なかった事件なのです」