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本陣殺人事件--曼珠沙華(3)_本陣殺人事件(本阵杀人事件)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334

 要するに三郎という男は、性格破綻者だったにちがいない。死という厳粛な事実でさえ

も、かれにとっては一種の遊戯だったにちがいない。三郎はあくまでも、兄が克子を殺す

つもりでいたことは知らなかった、と言い張ったそうだ。これはかれの言うとおりかも知

れない。しかし、それを知っていたとしても、かれがやっぱり同じことをやらなかったと

は誰がいえよう。

 三郎はもちろん起訴されたが、まだ判決が下らないうちに、事変がしだいに深刻化して

来たので、法廷から応召して、漢口で戦死したということである。可憐な鈴子もその翌年

死んだ。この少女は死んだほうが、幸福だったかも知れない。良介は去年広島へ旅行して

いて、そこで原子爆弾のために死んだということだが、父の終しゆう焉えんの地で、その

子が同じ戦争のために命をおとすというのも、何かの因縁でしょうと、村の故老はいって

いる。

 隆二は戦争中、最後まで大阪に頑張っていて、一家誰も疎開して来なかった。昔から村

の生活を好まなかったかれは、あの事件以来、いよいよ、古風な本陣の生活に、愛想をつ

かしたらしいということである。そしてあの広い一柳家には、いま、隠居の糸子刀自が、

ちかごろ上シヤン海ハイから着のみ着のままでかえって来た、長女妙子の一家や、新家の

秋子とその子供たちと一緒に住んでいるということだが、とかく揉めることが多くて、家

の中には風波が絶えないらしいとは、村の人たちの噂である。

 これで私は本陣殺人事件の顚てん末まつを、残らず書いてしまったつもりである。私は

この記録で、故意に読者を瞞まん着ちやくするようなことは、一度もやらなかったつもり

である。水車があの位置にあることは、ずっとはじめに言っておいた。また、この記録の

冒頭で、私はつぎのようなことを書いている。してみれば、私はあの恐ろしい方法で、二

人の男女を斬り刻んだ凶悪無慚な犯人に対して、絶大な感謝を捧げなければならないかも

知れないと。この時いった二人の男女とはむろん清水京吉と克子のことであり、克子は殺

されたのだけれど京吉の方は殺されたのではなかったから、私はわざと二人の男女を殺し

たとは書かなかったのである。二人の男女を賢蔵と克子であると思われたとすれば、それ

は諸君の早合点というものである。また、同じ章で、現場のことを書いたところで、そこ

に男女二人が血みどろで斃れていた光景は云々と書いたが、血みどろで殺されていたとは

書かなかった。賢蔵は殺されたのではなかったから。探偵作家というものは、こういう物

の書き方をするものであるということを、私はアガサ・クリスチー女史の「ロージャー・

アクロイド殺し」から学んだのである。

 さて、この稿を閉ずるにあたって、私はもう一度、あの一柳家を見にいった。

 私がこのまえ見にいったときは、まだ早春の肌寒いころで、田圃の畦あぜには、まだつ

くしの頭ものぞいていなかったのに、いまはもう、見渡すかぎり、黄金の波打つ、みのり

豊かな秋である。私はまた、こわれた水車のそばを通って一柳家の北をくぎっている崖に

はいあがり、藪のなかにわけいった。そして南を向いて一柳家を見る。人の話によると、

今度の財産税と農地改革とで、さしもの一柳家も、没落の運命を避けることは出来ないで

あろうということである。それかあらぬか、本陣の面影をそのままにうつしたといわれ

る、あの大きな、どっしりとした母屋の建物と、頽たい廃はいのかげが濃いように思われ

てならなかった。

 私はふと眼を転じて、鈴子が愛猫を埋めたという、屋敷の隅を眺めたが、するとそこに

は、ひがん花とよばれる、あの曼まん珠じゆ沙しや華げの赤黒い花が、いちめんに咲いて

いるのであった。ちょうど可憐な鈴子の血をなすったように。……


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