しかし、その期間をすぎると、二人の相似もしだいにうすれていき、二十を過ぎるころ
にはもうそれほど似ているとは思えなくなった。それはたぶん境遇と環境のせいだろう。
小学校を出ると大助は、中学から大阪の専門学校へすすんだが、本位田家の嫡男として鷹
揚にそだったかれは、肉付きもゆたかに色も白く魅力にとんだ青年になっていた。
それに反して幼いころから、姉のおりんとともに、鋤すき鍬くわとって働かねばならな
かった伍一は、瘦やせて骨ばって色も黒く、性質もとげとげしていた。
田舎のひとは口につつしみがなく、他人のスキャンダルを肴さかなにして楽しむくせが
あるから、伍一も早くから自分の出生にからまる秘密を知っていた。そしてそのことがし
だいにかれの性質をけわしいものにしていったのである。
同じ父の子でありながら大助が何不自由なく幸福にしているのに、自分はなぜこのよう
に貧乏で不幸であらねばならないのか。──そう考えると伍一の腸はらわたは、不平と不満
と憤りとでよじれるようにいたんだ。出生の月日からいえば、自分のほうが大助よりひと
月、早かったということである。してみれば自分こそ本位田家の長男として全財産を要求
してもよい筈ではないか。それにも拘かかわらず自分はなぜ、路ろ傍ぼうの石ころのよう
に見捨てられなければならないのか。大助が愉快に学生生活を楽しんでいるのに、自分は
なぜ、汗にまみれ、血豆だらけになって働かねばならないのか。
伍一のそういう救いがたい不平や怨えん恨こんに、はたから油をそそぐのはおりんで
あった。物心つく時分からおりんは、いやというほど父の善太郎から、本位田家に対する
呪のろいの言葉を吹きこまれている。おりんは父からうけたこの呪いを刺青ほりもの師し
が針でさすように、伍一の皮肉に植えつけようと試みた。本位田家に対する復ふく讐しゆ
う、大三郎への呪い──物心つく時分から、伍一が姉にきく言葉といえば、そういう狂おし
い呪じゆ詛そばかりであった。
おりんはしかし忘れていたのである。伍一は大三郎の子供であり、本位田家の血をひく
一員であるということを。だから、本位田家に対する呪いだの、大三郎への復讐などは、
伍一にとってはどうでもよいどころか、むしろかれは本位田家や大三郎に対して、強い憧
あこがれを持っていたのだ。ただひとつのことにあっては、かれも姉と同じ考えをわかつ
ことが出来る。大助に対する憎しみである。大助のことを考えると、かれは全身の血が、
蒼あお白じろい焰となってもえあがるかと思われるばかりであった。かれは大助を憎み、
憎み、憎んだ。
さて、本位田家では大助のあとに二人の子がうまれている。大正十一年に次男の慎吉
が、昭和五年には娘の鶴代が……。実は慎吉と鶴代のあいだにもう二人、子供があったと
いうことだが、いずれも早世しているからここでは勘定に入れないことにする。
この鶴代というのは、たいへん気の毒な娘で、先天性心臓弁膜症で、ちょっとの歩行に
も息切れがし、屋敷から外へ出ることはほとんどなかった。むろん、学齢に達しても学校
へ通うことなど思いもよらず、したがって教育も家庭でうけた。彼女の教育にあたったの
は主として祖母のお槇まきで、彼女は祖母の膝しつ下かで読み書きの手ほどきをうけた
が、頭のよい子で、十二、三のころには「遊ゆう仙せん窟くつ」から「源氏」などの古い
注釈本なども読んだという。
大三郎は墓にも彫られているとおり、昭和八年、即ち鶴代が四つのときに死んだ。大三
郎の妻は毒にも薬にもならないおとなしい女だったので、一家の重責はしっかり者の祖母
のお槇の肩にかかって来た。お槇は亡夫庄次郎にきたえられた、たるみのない性質で、
がっちりと本位田家の屋台骨をささえていた。