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うらみ葛の葉(1)_本陣殺人事件(本阵杀人事件)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3335

 うらみ葛の葉

     付、葛の葉屛風に瞳のないこと

    〇

(昭和二十一年五月三日)

 昨日はイヤなことがありました。兄さんは小野さんの一家が疎開でこっちへかえってい

ることを、知っていらっしゃるでしょう。その小野のおじさんが、昨日うちへいいがかり

をつけに来たのです。

 兄さんはうちに、葛くずの葉の屛びよう風ぶが、あるのを御存じですか。わたしはいま

までちっとも知らなかった。だってお蔵のなかへしまったきりで、わたしが物心ついた時

分から、一度も出したことないんですもの。そんな屛風のあることさえ知らなかったので

す。

 小野のおじさんが昨日来たのは、その屛風のことなのです。おじさんはそれを返してく

れというのです。おじさんはこんなふうに申しました。

「あの屛風は三十年まえに、わたしが神戸へ出るときにこちらの大さん(お父さんのこ

と)にお預けしておいたものです。別にお譲りしたわけのものではありません。あれは小

野家の家宝として、代々つたわっているものですから、何をなくしても、あれだけは手離

すわけには参りません。わたしもこうして御先祖さまの土地へかえって来たのですから、

あの屛風を手許にひきとって、毎日眺めてくらしたいと思います」

 と、そんなふうなことをくどくどと、いつまでも繰り返すので、ほんとうに弱ってしま

いました。はじめはお嫂ねえさんがお会いになりましたが、いつまでたっても埒らちがあ

かないので、とうとうお祖ば母あさまがお会いになりました。お祖母さまはたいそうお怒

りになって、

「宇一つぁん、あんた何をいいなさるのだ。あの屛風のことならわたしもよく憶えていま

すよ。あれはあんたが村をひきはらって神戸へ出るとき、商売のもとでが足りないから、

二十円貸してくれといって、そのかたにあれを置いていったんじゃないか。そのときあん

たはなんといいなさった。いかに御先祖様が大事でも、こんな屛風を背負いこんで、神戸

三さん界がいまで流れていくことは出来ません。これはお宅でとっておいてください、

と、そういうたのをわたしはちゃんと憶えていますよ。それをいまさらになって返せなど

とあんまりじゃないか」

 お祖母さまはそうお叱りつけになりましたが、小野のおじさんは眉まゆ毛げひとつ動か

さず、同じようなことをくどくど繰りかえしたあげく、それでは、あのときお借りしたお

金はおかえし致しますからと、十円札を二枚ならべたときにはわたしも、あまりのこと

に、びっくりしてしまいました。

 小野のおじさんは、このインフレを御存じないのでしょうか。戦争まえと現在とでも、

物価は何十倍、何百倍とちがっています。まして大正のはじめごろの二十円がいまの二十

円でとおると思っているのでしょうか。あまり馬鹿にした仕打ちに、わたしでさえ腹が

立ってしまいました。

 あとでお祖母さんがこうおっしゃいました。

「貧すればドンするので、それは宇一つぁんだっていくらか人間がかわったようだが、ま

さかあんなユスリがましいことをいって来るほどの人ではない。あれはお咲さんが悪いの

だよ。どこかで屛風のことを聞きつけて、宇一つぁんを唆けしかけたのにちがいない。そ

れでなければ、こっちへかえってから一年以上もたったいまごろになって、あんなことを

いって来る筈がないものね。昔むかし馴な染じみのひとがかえって来るのは嬉しいが、お

咲さんみたいに、どこの馬の骨だか牛の骨だかわからぬような人間まで、ついて来るん

じゃやりきれない。戦争からこっち、だんだん、人間の気持ちが悪くなって来てるから、

梨枝さん、あんたなんかも、よほどしっかりしてくれなきゃ困りますよ」

 わたしは何も、お祖母さまの尻しり馬うまに乗るわけじゃありませんが、お咲さんてひ

と、ほんとに評判の悪いひとです。あのひと神戸で酌婦かなんかしていたんですって。小

野のおじさんといっしょになってから、継まま子この昭治さんをひどくいじめて、家にい

られないようにしたのもあの人だということです。昭治さんはそれですっかりぐれてし

まって、兵隊にとられてからも何度、営倉へ入れられたかわからないという話です。昭治

さんといえば終戦後間もなくひょっこりかえって来ましたが、三日とたたぬうちに、お咲

さんと大おお喧げん嘩かをしてとび出しました。それでいて、あのおうちいちど小野のお

じさんが売ろうとしたことがあるのを、昭治さんがお金を出してやめさせたことがあるん

ですって。だから村の人、みな昭治さんを可哀そうだといってます。昭治さんはK市で

ゴットン(強盗のこと)をしているという話だけど、それがほんとうだとすると、お気の

毒なことです。

    〇

(昭和二十一年五月四日)


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