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かたしろ絵馬(2)_本陣殺人事件(本阵杀人事件)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3336

  わたしはやっぱりおりんさんが嫌いです。

    〇

(昭和二十一年八月一日)

 たいへん御無沙汰いたしました。もっとたびたびお手紙差し上げるべきところ、鶴代、

すっかり混乱してしまって。……なぜ混乱しているのか、鶴代にはハッキリ理由もつかめ

ません。しかし、なんだかわたし怖いのです。ええ、ほんとにわたし怖いのです。なんだ

か本位田のうちに悪いことが起こりそうな気がします。兄さん、兄さん。わたしどうした

らよいのでしょう。

    〇

(昭和二十一年八月八日)

 兄さん、堪かん忍にんしてください。変な手紙を差し上げて、よけいな心配をおかけし

たことを、まことに済まなく思っております。このお手紙も兄さんのお眼にかけてよいか

悪いか、わたしずいぶん迷いました。しかし、あんなお手紙を差し上げたあと、奥歯にも

ののはさまったようなことを書くと、却かえって兄さんの心配の種になるだろうと思いま

すので、思いきって何もかも申し上げることにいたしました。兄さん聞いてください。今

日このごろのわたしの悩みを。そして、鶴代が間違っているところをピシピシお教え下さ

い。

 大助兄さんがかえって来てから、家のなかの様子はすっかり変わってしまいました。よ

いほうへ変わったのではありません。すっかり悪くなってしまったのです。大助兄さんと

いう人は、昔はたいへん朗かな、思いやりの深いそして陽気な人でした。大助兄さんのい

るところ笑い声の絶えることなく、誰だって大助兄さんを好きにならずにはいられないよ

うな人でした。

 それだのに、どうしたのでしょう。今度かえって来てからは、まるで人が変わったよう

に陰気な人になってしまいました。いいえ、陰気ばかりではありません。何といいます

か、妖あやしい鬼気のようなもので、すっぽり身をつつんでいるのです。大助兄さんがか

えって来てから、もうひと月以上になりますが、わたしはいちども、あの人が笑うところ

を見たことはありません。

 いいえ、笑うどころか、用事のあるとき、極く短い言葉でいいつけるほか、口を利くこ

とさえ滅多にないのです。それでいて猫のように足音のない歩きかたで、しじゅう家のな

かを歩きまわり、何かを嗅ぎ出そうというふうに、じっと聞き耳を立てているのです。う

すぐらい中廊下などで、白い浴衣ゆかたを着た大助兄さんが、ガラスの両眼をしらじらと

見張ったまま、ソロリソロリと歩いているところなどに出会うと、わたしはゾッと背筋が

冷たくなるような気がします。

 土蔵のなかで本を読んだり、ものを書いたりしているときでも、ふと、生気のないあの

二つの眼を思い出すと、わたしは心臓に冷たい刃をあてられたような悪感をかんじます。

家のなかのどこかから大助兄さんがガラスの眼で、じっとわたしたちの姿を見守ってい

る。いいえ、これは決して、わたしの妄もう想そうでも強迫観念でもありません。大助兄

さんはどこにいても、家中のものの行動をちゃんと知っているのです。そして、わたした

ちのあいだに、どのようなことが話されているか、そして話のうらにどういう意味がかく

されているか(何もかくされてはいやしないのに)それを嗅ぎ出そうとして、じっと見え

ぬ眼を見張っているのです。いったい、大助兄さんは何を嗅ぎ出そうとしているのでしょ

う。

 いちばんお気の毒なのはお嫂さまです。

「いいえ、なんでもないのよ。夏瘦せよ」

 お嫂さまはそうおっしゃいます。しかし、お嫂さまのあのひどい窶やつれかたが、夏瘦

せなどという単純なものでないことは、わたしにはちゃんとわかっています。


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