兄さん、助けてください! こんな状態がながくつづいたら、わたしは死んでしまいま
す。いえいえ、わたしよりまえに、お嫂さまが気が狂うか、死んでしまいなさるでしょ
う。わたしははっきり知りたいのです。いまうちにいる人は、ほんとうに怪我で両眼をう
しなったのか。それとも大助兄さんと伍一さんを区別出来る唯一の特徴を、わざとくり抜
いたのではありますまいか。そして、モンドーとやらで戦死したのは、伍一さんではな
く、大助兄さんだったのではありますまいか。
ああ、恐ろしい! こんなことを考えるだけでも、わたしはもう気が狂っているかも知
れません。兄さん、何か智恵をかしてください。あの人がほんとうに大助兄さんである
か、──贋にせ物ものであるか。それがハッキリわかるまで、わたしたちは永遠に地獄から
抜け出すことが出来ないでしょう。
〇
(昭和二十一年八月二十三日)
兄さん、有難うございました。兄さんはやっぱり智恵者ねえ。あたしたちどうして簡単
なことに気がつかなかったのでしょう。
ええ、覚えていますわ。あれ、かたしろ絵え馬まというのですわ。戦争へいくまえ、絵
馬にべったり右の手型を押して御崎様へ奉納する。つまりその絵馬を自分のかたしろにな
るようにという信念なんですわ。大助兄さんも出征まえにかたしろ絵馬を奉納したこと、
わたし、よく覚えていますよ。大助兄さんが白木の絵馬にべったり右の手型をおしてそれ
に新しん田でんのおじさまが武運長久というような文字をお書きになったのを、わたし、
いまでも昨日のことのように憶えています。
ええ、あの絵馬はいまでも御崎様の絵馬堂にあるにちがいありません。絵馬の裏には大
助兄さんの名前が入っているから、間違える筈はありません。秋月の伍一さんがかたしろ
絵馬を奉納したかどうかは、わたしも存じません。でも、そのことはどちらでもよいので
はありませんか。大助兄さんの絵馬さえあれば、間にあうのではありませんか。
ええ、人間の指紋がひとりひとりちがっていて、そしてその指紋は永久にかわらないと
いうこと、わたしも何かで読んだことがあります。だから、たとい伍一さんの絵馬はなく
とも、大助兄さんの絵馬さえあれば、わたしたちのこの恐ろしい疑問に終止符を打つこと
が出来るのですわ。
今夜お杉にたのんで、御崎様の絵馬堂から、こっそり大助兄さんの絵馬を持って来ても
らいます。いいえ、大丈夫。お杉には何かほかの口実をもうけて、決してほんとのことは
申しません。わたしがいけるとよいのですけれど、こんな体だもんだから、御崎様のあの
急な坂をのぼるなどとても。大丈夫、大丈夫、お嫂さまにもお祖母さまにも、決してしゃ
べりは致しません。ことがハッキリするまでは。……
大助兄さんの指紋は、折りを見てうまくとります。決してヘマはやりませんから御安心
下さいませ。では……
〇
(昭和二十一年八月二十四日)
兄さん、助けて!
お杉は死にました。御崎様の崖がけから落ちて。お杉は昨夜、わたしのいいつけで、御
崎様の絵馬堂へ、かたしろ絵馬をとりにいったのです。そしてそのまま、かえりませんで
した。
今朝、田口の実つぁんが、崖の下にお杉の死骸を見つけて報しらせてくれました。誰も
お杉が絵馬堂へ、絵馬をとりにいったことを知りません。だから、なぜあんなところへ出
かけたのか、不思議に思っている様子です。
絵馬はどうなったか、あたしにはわかりません。まだ絵馬堂にブラ下がっているのか、
それともお杉がとってかえるところを、誰かに奪われて突き落とされたのか。……
兄さん、怖い、わたしは怖い。
お杉のお葬式は明後日です。それを口実に、兄さん、いちどかえって来てください。
鶴代は、もう気が狂いそう。