あのときなのだ。ガラスの眼をもったあの人が、おりんさんにお杉を殺すことを頼んだ
のは。
……そういえば、おりんさんと別れて、こっちへ引き返して来たときあの人の顔は、な
んともいいようのないほど凄すさまじかった。……
ああ、恐ろしい。
お杉を崖から突き落としたのは、おりんさんなのだ。おりんさんと伍一さんがぐるに
なって、この家を乗っとろうとしているのだ。おりんさんのお父さんが、うちのお父さん
を怨んで車井戸へ身を投げたことは、小さい時分わたしも誰かにきいたことがある。おり
んさんのお母さんも、一年後に同じ井戸へ投身自殺をしたという。
おりんさんと伍一さんは、姉弟で両親の遺志をついでこの家に復讐しようとしているの
だ。それだのに、わたしたちには何も出来ない。兄さん、兄さん、しっかりしてくださ
い。わたしたちの頼りになるのは、慎吉兄さん、あなたひとりなのです。
それにしても、大事な絵馬はどこへいったのだろう。……
〇
(昭和二十一年八月三十日)
昨夜から今朝へかけて、恐ろしいことが、二つありました。
そのひとつは昨夜、真夜中ごろに泥棒が入ったことです。それに気がついたのはわたし
でした。お祖母さまは日頃はいたって目ざとい人なのですが、ちかごろめっきりお年をめ
して、昼間でもどうかすると、うたたねをなさることがあります。だから、そのときもお
祖母さまよりも、わたしのほうがさきに眼がさめたのです。
そのとき、わたしは苦しい夢を見ていました。それはお座敷にかざってある屛風から、
葛の葉が抜け出して来たかと思うと、いつの間にやらそれが、大助兄さんのすがたにな
り、あの無気味なガラスの眼で、じっとわたしを睨んでいるのです。
ハッとしてわたしは眼がさめましたが、するとそのときどこかで雨戸をこじあけるよう
な物音がきこえました。はじめのうちわたしは、鼠ねずみがどこかを齧かじっているのか
と思いましたが、そのうちにゴトゴトと雨戸をあける音がしたので、思わずギョッと寝床
のうえに起きなおりました。
「お祖母さま、お祖母さま」
隣の部屋へ声をかけましたが、お祖母さまの返事はありません。スースーと規則正しい
寝息がきこえるばかりです。わたしは怖くなったものだから、襖ふすまをひらいてソッと
お祖母さまの部屋へすべりこみ、蒲ふ団とんのうえからお祖母さまをゆすぶりました。幸
いお祖母さまはすぐ眼がさめてくださいました。
「お祖母さま。変な音がするのよ。母おも屋やの方で……」
わたしはお祖母さまが何かおっしゃろうとなさるまえに耳に口をあててそう囁きまし
た。お祖母さまはすぐハッと寝床のうえに起き直ると、
「変な音って、どんな音……?」
「雨戸をこじあけるような音よ。たしかに、お座敷のほうよ」
お祖母さまはじっと聞き耳を立てていらっしゃいましたが別に怪しい音もきこえませ
ん。
「鶴代、鼠じゃなかったの」
「いいえ、鼠じゃありません。わたしもはじめはそう思ったんですけど、たしかに雨戸を
あける音がしたのよ」
お祖母さまはちょっと考えてから、
「そう、それじゃいってみましょう」
お体のほうはちかごろめっきりお弱りになったようですけれど、気性は昔どおりしっか
りしたお祖母さまでした。手早く帯をしめなおすと、そっと襖をおひらきになりました。
わたしも怖かったけれど、ひとり取り残されるのはいっそう怖いので、お祖母さまのあと
についていきました。