「これはおれが貰っておくよ。ふん、これさえ持ってれゃ犯人となることは疑いなしさ」
昭治君はそれから間もなく療養所を出ていった。わざと本位田家の近所にすがたを見せ
ておくために。……
さあ、これで私のいおうとすることは、すべていい尽したつもりである。いや、そうで
はない。もうひとつ肝腎なことをいっておかねばならなかった。九月二日、鶴代の迎えで
家へかえって来たとき、私は一番に嫂の体を調べてみた。嫂の右の脇腹には、どんな痣も
なかったのである。ああ、われわれは完全に秋月姉弟に復讐されたのだ。
気の毒な兄よ。
鶴代は十月十五日に死んだ。彼女のような弱過ぎる心臓と、鋭過ぎる頭脳を持った少女
は、長く生きていないほうが幸福であろう。祖母も一週間まえになくなった。祖母には何
も打ち明けなかったが、彼女はきっとある程度まで知っていたにちがいない。そして、い
まや本位田家唯一の生き残りの男が、この手記を書いているのである。
私はこの手記を書きあげると、鶴代の手紙の一束とともに、金田一耕助氏に送りとどけ
るつもりだ。
金田一耕助。……私はこのひとの名を獄門島の事件で知っていた。そのひとが獄門島か
らのかえりがけ、この土地に立ちよって、事件の再調査に手を染めたときいたとき、私は
どんなに驚きおそれたことであろう。
私は逃げるつもりはなかったのだ。私はただ祖母のことを憂えたのだ。兄夫婦をうしな
い、鶴代にさきだたれ、いまはただ私ひとりを頼りに生きている祖母の身を案じたのだ。
あるとき、とうとう金田一耕助氏が私のところへ訪ねてきた。私たちはふたことみこと
話をしたが、それだけで私はもう金田一耕助氏が、真相を看破していることをさとった。
私はすでに覚悟をきめていたので、無言のまま妹の最後の手紙を差し出した。
金田一耕助氏は不思議そうにその手紙に眼を走らせていたが、読みすすんでいくにした
がって、深いおどろきの色がその顔をおおった。そして、息つぐひまもなく読みおわる
と、しばらく茫然としてあらぬかたを眺めていたが、やがてその視線を私のほうにもどす
と、
「で……?」
と、暗い眼をしてつぶやいた。
「と……」
と、鸚おう鵡むがえしにこたえたものの、私にはあとがつづかなかった。
金田一耕助氏はまじまじと私の顔を眺めていたが、急にひとなつっこい微笑をうかべる
と、
「ときに、お祖母さまの御容態は……?」
と、訊ねてくれた。
「はあ、もう長いことはありますまい。ことしいっぱい保つかどうか……」
「それは、それは……」
と、金田一耕助氏はぼんやり呟いて、それから濡れたような眼を私にむけた。
「この手紙は当分だれにもお見せにならないほうがいいでしょう。少なくともお祖母さま
が御存命中は……いや、突然押しかけてきて失礼しました」
金田一耕助氏は来たときと同様飄々としてかえっていった。
金田一耕助氏は私になんの約束も強要しなかったし、私のほうからもなにも約束しな
かった。しかし、信義は守らなければならぬ。祖母を見送ったいまとなっては、私ももう
思いのこすことはなにもないのだ。私はこれらの手記を郵便局から発送したあとで、自分
のいくべき途をえらぶつもりである。……