「しかし、それは……その女は看護婦かなんかで、部屋のなかにはマダムが別に……」
「いいえ、そんなことはありません」
日兆はキッパリと、むしろ毒々しいまでに力をこめて、
「その座敷の中にいたのは、たしかにその女ひとりきりでした。それにその女は、マダム
の着物を着ていたのです。つまり、そいつはマダムに化けて、みんなをゴマ化していたん
です」
それからまた、日兆はネチネチと喋舌しやべり出した。
その後間もなくマスターが「黒猫」を他人に譲って、どこかへ立ち退くという事をきい
たかれは、いても立ってもいられなくなった。最後の日、おはらい箱になった女たちを道
に擁したかれは、その後、マダムの顔を見たかとたしかめてみた。誰も見ていなかった。
ところが、ちょうどその時分のことである。どこかの空き家の縁の下から、屍骸がゴロゴ
ロ掘り出されたという記事が、新聞に出て大騒ぎをしていた。
日兆はもうたまらなくなった。どうしても、この恐ろしい疑問を、一度たしかめてみな
ければ、夜も眠れなかった。
「そこで、ああして掘りにいったのです」
日兆はその日いちにち警察にとめおかれ、警部や刑事にとりまかれて、質問の雨のまえ
にさらされた。かれは例の、けだもののような眼をギラギラさせながら、はじめのうちは
よどみなく、おなじことを繰りかえしていたが、日暮れ頃、突然泡をふいてひっくりか
えった。かれには持病の発作があったのである。
「で、これはいったい、どういうことになるんだい」
署長も朝からの興奮に疲労したのか、ボンヤリしていた。気抜けしたような声でこう
いった。
「つまり、殺されたのは鮎子ではなく、マダムだったということになるのかい。そして鮎
子が二週間、マダムの身替わりをつとめていたというのかい」
司法主任はなんにもいわなかった。しきりに顎を撫でていた。そこで村井刑事が横のほ
うから、しずかにこう口をはさんだ。
「署長さん、実は私ははじめから、そういうことを考えていたので。……顔におできが出
来たからって、おなじうちにいる人間が、二週間もの長いあいだ、一度も顔を見たことが
ないというのは、いささか不自然過ぎる。そこに何か、恐ろしい作為があるんじゃないか
と。……」
「しかし、鮎子はなぜ、マダムに化ける必要があったんだ。それは危険千万なことじゃな
いか」
「そうです。もちろん危険です。しかし、署長さん、マダムが奥にいるということになっ
ていたからこそ、マスターが店を売りとばしても、誰も怪しみゃアしなかったんです。マ
ダムがふいに姿をかくして、マスターが、店を売りにかかったとしてごらんなさい。世間
では……少なくとも三人の女はどう思いますか。高跳びには金がいる。だから、その金を
つかむまでは、どうしても、マダムが生きていることに、しておかなければならなかった
のです」
「ふうむ」
署長は顎を撫でている。司法主任はがりがり頭をかいていた。刑事は更に言葉をつい
で、
「黒猫の殺された理由も、これでこそ説明がつくと思います。あの黒猫は、マダムが可愛
がっていたにちがいない。そいつがマダム殺しの現場を見ているのだから、亭主にしても
気味が悪かったんです。そこで殺していっしょに埋めた。しかし、黒猫がいなくなって
は、店の女たちに怪しまれると思ったものだから、代わりの奴を貰って来てゴマ化してお
いたんです。あの黒猫は二匹とも、おなじ腹から出た兄弟なんですが、まえの飼い主のと
ころへ、二十八日の晩、糸島が黒猫をもらいに来たということもわかっています。だか
ら、殺されたのは鮎子じゃない。鮎子と糸島の二人して、お繁を殺したにちがいないので
す」