「私たちの中学、東北の方ですがね。学校を出るとわれわれ二人、あの男と私ですな。一
緒に東京へ出て来たんです。そして、しばらく神かん田だの下宿でゴロゴロしていたが、
そのうちに私はアメリカへいった。あいつは日本にのこって、何になったかというと、不
良になった。硬派ですな、押し借りゆすりという奴です。その後、ぼくがアメリカからか
えって来ると、不良のほうは足をあらって、何んとか組へもぐりこんで、そこでかなりい
いかおになっていた。その時分旧交をあたためて、ちょくちょく往復していたんですが、
そのうちに私が兵隊にとられたので、また縁が切れてしまった。そう、六、七年もあいま
せんでしたかねえ。ところが、私は去年復員して来たんですが、復員するとすぐ、一寸ち
よつとした用事があって、瀬戸内海のほうへいっていた。ところが、そのかえりの汽車の
なかのことなんです。なにしろ、えらい人で、……そこへまた、ヤミ屋の一団がドヤドヤ
と乗り込んで来たから、さあ、大変、何しろあの連中と来たら、こわいもの知らずだから
始末に悪い。実に横暴をきわめまして、われわれ善良なる旅客の迷惑すること限りなしで
す。しかし、誰もなにもいうものはない。みんな、戦々兢きよう々きようたる有様です。
──むろん、ぼくもそのひとりでしたよ。で、ヤミ屋諸公、いよいよ図に乗って、暴状いま
や、黙すべからざるところにたちいたって、決然として立ち上がった男がある。そいつ
が、ヤミ屋の頭あたま株かぶらしいのをつかまえて、何かいいがかりをつけたからスワ大
変、いまにも大乱闘、大活劇が起こるかと手に汗握り、肝をひやして、喜んでみている
と、あにはからんやです。そいつがね、ヤミ屋の親分に何やらクシャクシャといったと
思ったら、俄然、形勢一変でさあ。いままで殺気立っていたヤミ屋の一団が、青菜に塩と
いうていたらくで、いっぺんに静シュクにあいなった。いや、静シュクにあいなったのみ
ならず、その男に向かって平身低頭、キッキュージョとしてレイジョーを極めた。いや、
ぼくは学問があるから、とかく、むつかしい言葉を使っていかんのですが、あまり漢語を
使うと、漢字制限のおりから、ぼくの記録係りが困りますから、このくらいにしておい
て、とにかく、おかげでわれわれはほっと、失望と同時に蘇生の思いをした。満堂の感謝
キュー然としてかの英雄に集まった。御婦人のなかには、いささかボーッと来たのもあっ
たらしい。ぼくもホトホト感服したことです。警官諸公でさえ手に負えぬ暴君を、たった
一言でおさめるとは、何んたるえらい男であるか。昔の黄門さんみたいな人物である。──
と、そう思ってつくづく見直すと、ナーンだ、それがあの男、風間俊六じゃありません
か。ぼく、すっかり嬉しくなっちまいましてね。満堂の紳士シュクジョにわが威光示すは
この時なりと、あいつの肩をポンと叩いて、おい、風間じゃないか、おっほんとおさまっ
た。しかるに何んぞや、あいつ、ぼくの顔をつらつら見直して、ナーンだ、耕ちゃんかと
来たから、ぼく、照れましたね。と、いうわけで、これが金田一耕助風間俊六再会の一幕
で、ぼくがどこへもいくところがないというと、そんなら、おれのところへ来いというの
で、目下かれのところに寄き寓ぐうしていると、こういうわけです」
署長も司法主任も村井刑事も、呆れかえってまじまじと、金田一耕助のかおを視詰めて
いた。すっかり毒気を抜かれたかおつきだった。これはまた、大変な人物を紹介して来た
ものであると歎息した。やがて、署長はおかしさを嚙み殺して、
「ああ、なるほど、それじゃ目下、風間氏のところに、同居していらっしゃるわけです
ね」
「さよう、居候というわけですな。居候のことを権八というそうですが、この権八はごら
んのとおりで、綺麗ごとにはまいりません。第一、長兵衛との出会いからして悪いや、本
来ならば権八のほうが、スッタスッタとむらがる雲助どもをなぎ倒す。その腕前に惚れこ
んで、長兵衛がつれてかえるという段取りであるべきところ、時勢がかわると雲助退治は
一切長兵衛にまかせておいて、権八は戦々兢々として、ふるえているのだからだらしがな
い。そのかわり、小紫の如き女性は現われてくれませんから、まあ、罪のないほうです。
ところが、それに反して長兵衛どのと来たら、実に無尽蔵に小紫をたくわえている。ぼく
の厄介になってる家も、二号だとか言ってますが、二号だか、三号だか、四号だか、五号
だかわかったものじゃない。それでいて御当人、おれは女に淡白で……なんていってるん
だから、驚くべきシロモノといえばいえますな。あれで女に淡白だとしたら、ひとりも小
紫を持たぬぼく如きは、まるでナシみたいなもんです」