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黒猫亭事件--七(6)_本陣殺人事件(本阵杀人事件)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334

 署長はまた茫然として、まじまじと、金田一耕助の顔を視詰めていたが、謎ときくと眉

をひそめて、

「この事件に謎がありますか」

「ありますとも、大ありです。しかも、それが実にものすごい謎でして。……しかし、こ

ういったからって、ぼくはなにも、あなたがたにさきんじて、その謎を解いたことについ

て、自慢をしようというのじゃない。実はね、ぼくはあなたがたが御存じのない、しか

も、非常に重大なデータをつかんでいた。だから、あなたがたよりさきに、謎を解いたっ

て自慢にならない。そのことについて。……」

 と、村井刑事をふりかえり、

「風間があなたに、あやまっておいてくれと言ってましたよ。この間あなたがお見えに

なったとき、打ちあけておけばよかったものを、つい確信が持てなかったものだから、控

えていたというんです」

「どういうことですか。それは……」

 と、村井刑事は急にからだを乗り出した。

「それはこうです。糸島、つまり『黒猫』のマスターですな。あいつがはじめて風間のと

ころへやって来たとき、脅喝的言辞をならべて威い嚇かくしようと試みた。……」

「そのことなら、私もききました」

「そうでしょう。ところがその時ならべた文句です。糸島も興奮していたらしく、つい口

を滑らしたんですね。お繁という女はああ見えても、実にすごい女である。あいつが日本

を飛び出したのも、東京でせんの亭主を毒殺したからである。……と、そんな事をいった

そうです」

 あっ──と、一同は目を瞠った。署長はいきを弾ませて、

「すると、お繁というのは前科者ですか」

「そうです。しかし彼女は刑にはとわれなかったらしい。そのまえにうまく中国へ高跳び

したんですね。風間はこのことを、刑事さんに打ち明けるべきだったが、果たして事実な

りや否や、確信が持てなかったので、ひかえていたというのです。つまり、この事実を

知っていただけ、ぼくはあなたがたより有利だったわけで、風間からその話をきくと、ま

ずお繁の前身から、調査してみようとかかったわけです」

「で、わかりましたか。あの女の前身が……」

「わかりました。いや、いまのところ確かな証人もなく、はっきり断言するわけには参り

ませんが、だいたい間違いないと思っています。ぼくが調査のよりどころとしたのは、も

うひとつ、お繁が何気なく、風間にもらした言葉があるんです。お繁はあるときこんなこ

とをいったそうです。自分が満洲へわたったら、とたんに日華事変が起こって、大いに難

渋した。と、そんなことを洩らした事があるそうです。で、彼女がもし内地で悪事を働い

て高跳びしたとしたら、それは昭和十二年の、上半期のことでなければならない。そこで

ぼくは新聞社へいって、当時の新聞を漁あさりましたが、そこで発見したのがこれなんで

す」

 と、金田一耕助がふところの、ノートのあいだから取り出したのは、一葉の写真であっ

た。署長が手にとってみると、それは十七、八の、髪をお下げにして、地味な銘仙の着物

を着た娘の写真であった。器量も可愛いといえば可愛いが、とくに取り立てていうほどの

こともなく、どっちかというと、平凡な娘の写真であった。

「これは……?」

「新聞社の整理部から借りて来たんですよ。ここにその写真についてのメモがあります

が、読んでみますから聞いていて下さい。松田花子、十八歳。(昭和十二年現在)深川の

大工松田米造長女、小学校卒業後、銀座の茶寮銀月に女給として勤務中、洋画家三宅順平

(二十三歳)に想われ結婚。三宅家は相当の資産家なるも、家に母やす子刀と自じあり、

教養の相違より嫁とあわず、家庭に風波絶えず。昭和十二年六月三日、花子は母やす子刀

自を毒殺せんとして、あやまって良人順平を殺し出奔、爾来消息不明、おそらく人知れず

自殺せしならんといわる。この写真は昭和十一年三月、銀月勤務中の花子にして、当時十

七歳なり」


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