「しかし、お繁はそんな奇妙な逢あい曳びきを、どういう口実で亭主に納得させたろう」
「それにお繁は、去年の五月ごろから、すでに今度の事件を計画していたんですか」
「そうです。多分そうだろうと思います、だが、ここではまず署長さんの質問からおこた
えします。そんな事、お繁にとっては雑作ないことなんですよ。彼女はこういうんです。
ねえ、あなた、あたしちかごろ、なんだかクサクサして仕方がない。また、去年の五月ご
ろみたいな、逢い曳きごっこしてみない。あたしもう一度桑野鮎子になるわ、そして、ほ
かに旦那があることにするの。その旦那の眼をぬすんで、あなたと密会してるってことに
するのよ。ねえ、ねえ、あたしたちいま、倦怠期に来てるのよ。変化が必要なんだわ。あ
たしスリルが味わいたいのよ。ねえ、ねえ、逢い曳きごっこをして遊びましょうよ。お繁
の気まぐれには慣れてるし、また糸島は彼女の命令とあらば、どんなことでもきかねばな
らぬ。それに彼自身、そういう遊戯に興味をかんじないでもなかったのでしょう。そこ
で、お繁の手に乗ってしまったわけです」
「なあるほど」
署長は感心したように首をひねった。
「それから去年のことですがねえ。ぼくは思うのだが、糸島は風間のところへ、名乗って
出るよりだいぶまえから、お繁の居所を突き止め、お繁にあっていたにちがいない。その
時分お繁はまだ、細かいプランはたっていなかったが、さっきも申しましたとおり、男の
顔を見た瞬間から、殺意をかんじていたのだから、無意識のうちに、後日の計画に役立つ
ような行動をしていたわけです。さて、糸島が現われたとき、お繁は蒼白い怒りをかくし
てこういうんです。自分にはいま旦那がある。しかもその旦那というのは、かなり凄すご
い男である。乾こ分ぶんも大勢持っている。うっかり、あんたと密会しているところを見
付かると、どんなことになるか知れやしない。だから、この家へは来ないでね。あたしの
方から会いにいくから。……そして彼女は、旦那や旦那の乾分に見付かっても、分からな
いようにするためであると称して、変装して出かけるんです。そして、そこに桑野鮎子と
いう仮装の人物をデッチ上げたんです。更に彼女はまたこういう。こういうこといつまで
も続きゃあしないわ。いつか旦那にわかって、暇が出るにきまっているわ。だから、その
ときの用意に、いまからダンサーでもしておくわ。……何しろその時分には、風間はもう
その女に秋風が来ていたし、何しろ十三人も、お妾を持っているこの男のことだか
ら……」
「馬鹿をいえ!」
風間はむつかしい顔をしてさえぎると、それでもいくらか赧あかくなって、つるりとさ
かさに顔を撫であげた。
「あっはっは、十三人ではまだ不足かい。いや、ごめん、ごめん。どっちにしてもその時
分風間は、お繁のところへかなり足が遠のいていたから、お繁は十分、そういう二重生活
が出来たのです。ところがそのうちに、お繁は小野千代子という女のことを知った。糸島
がその女といっしょにかえって来て、いまでも、面倒を見ていることを嗅ぎつけた。糸島
が小野の面倒を見ていたのはむろん親切ずくじゃない。いずれそのうちに、闇の女にでも
売りとばそうという魂胆なのだが、お繁はその女を利用しようと思いついた。しかし、そ
の頃のお繁の計画は単純なもので、即ち、糸島を殺しておいて、小野千代子に罪をきせよ
うと、まず、それくらいの魂胆だったろうと思うんです。そこで恰あたかも、自分が小野
であるかの如き印象を、ほかのダンサーたちに与えようとした。ところで問題のスーツ・
ケース、C・Oという頭文字の入ったスーツ・ケースですが、ぼくはそれを見たという、
ダンサーに訊ねてみたんですが、それは相当かさばった、しかも、一見して女持ちとわか
るような派手なものだったそうです。ところで、当の小野千代子は、顔に泥だの煤だのを
塗ってまで、男になりすまして、満洲から南下して来ているのだから、そんなスーツ・
ケースなんて、持ってかえれる筈がない。だから、ぼくは、お繁と鮎子が、おなじ人間で
あることに気がつく以前から、鮎子は小野千代子ではないと思っていたんです。さて、こ
うして何んとなく、計画は立てたものの、さすがに当時は、それを実行する勇気を欠いて
いた。人を殺す、それも女が男を殺すということは、なんといっても大事業ですからね
え。だから、彼女は計画をあたためながら、静かに時の熟するのを待っていた。ところ
が、そこへ、彼女にとって恰好の人物が現われた。それが即ちあの日兆君なんです」