金田一耕助はそこで言葉を切ると、虫でも背筋へ落ちたように、ブルッとはげしく身を
ふるわした。ほかの連中も暗いかおをして、ほうっと暗いため息をついた。金田一耕助は
また言葉をついで、
「『黒猫』の六畳の障子のガラスに、紙が貼ってあることは、みなさんも御存じでしょ
う。ところがあの紙は、ちかごろ貼ったものじゃなくて、去年、糸島夫婦がそこへ移ると
間もなく、貼ったものだそうです。その理由を、お君ちゃんはこういっていました。日兆
さんが裏の崖から、マダムを覗いて仕方がなかったんです。あのひとすこし変よ。変態か
も知れないわ。──お繁はそれを利用した。つまり日兆を手なずけて、犯罪の片棒かつがせ
ようとしたんです。さっきも申し上げましたとおり、ぼくの仮説に矛盾するのは、唯一
つ、日兆君の証言があるばかりです。しかし、ぼくは自分の仮説に対して、しだいに確信
をつよめたから、日兆君は噓を吐いてるとしか思えなくなった。ひょっとすると日兆君
は、鮎子に変装したお繁を見て、かれ自身、騙だまされたのじゃないかとも思いました
が、それにしては、かれの行動のすべてが、ひどくお繁の計画に都合よくできている。日
兆君のあの証言、あれは為さんに、最初の証言の矛盾を指摘されたために、やむなく、本
当のことをいったというようになっているが、ナニ、為さんのことがなくても、いずれ時
を見て、申し立てるつもりだったんです。それにまた、屍体を掘り出した時期ですが、日
兆君は、かれの話がほんとうだとしたら、なぜ、『黒猫』が空き家になった十四日か十五
日に掘り出さなかったのだろう。その頃、屍骸が掘り出されていたら、腐敗の度もまだそ
れほどひどくはなく、あるいは相好の見分けもついたのではないか。これを逆にかんがえ
ると、日兆君は、相好の見分けがつかなくなるのを、待っていたのじゃないか……ぼく
は、確信をもっていいきれると思うのですが、あの屍骸はあそこに埋めてあったのじゃな
い。あの庭には十四日の晩までは、黒猫の屍骸が埋めてあっただけだと思う。では、あの
屍骸はどこにあったか。あの墓地です。糸島の屍骸のあったところです。あそこへ埋めて
おいて、相好の見分けがつかなくなるのを待っていた。そして、二十日の晩、いよいよ、
お誂えむきの状態になったので、日兆君が掘り出してかつぎ出し、あらためて『黒猫』の
庭へ埋めた。即ち、長谷川巡査が見つけたのは、日兆君が屍骸を掘り出したところじゃな
く、屍骸を埋めたところなんです。かれはむろん、長谷川巡査が毎晩そのころ、巡廻して
来ることを知っていた。そこで、いかにもいまそこから、掘り出したように行動してみせ
たのです」
一同はまた、暗いため息をついた。なんとも救いのないドス黒いかんじであった。
「さて、話がすこし前後しましたが、お繁はこういうかっこうの共犯者を見付けたので、
そこで改めて計画を練りはじめたのですが、さすがに半年たっているだけに、まえの計画
より大分手がこんで来ました。彼女はまず、自分が殺されたものになろう。そして、その
疑いを亭主に向けておいて、これをひそかに殺し、屍骸をどこかへかくしておこうと、こ
う考えた。これによって、彼女は二重の目的を達することが出来るんです。鮎子を殺すと
いう宿望を果たすとともに、自分というものの存在を抹消することが出来る。さて、こう
いう計画に使う道具として、いや、道具というより犠牲者として、まえのつづきで、小野
千代子をえらぶことにしたんです。小野は糸島の手で売りとばされていたが、お繁は彼女
の居所を知っていたんですね。小野は売りとばされるとき、さすがに恥じて本名をかくし
ていたから、あとで小野の名前が問題になっても、彼女をかかえていた家──それは私し娼
しよう窟くつですが──でも気がつくまいと、お繁は安心していたのでしょう。そこで、
さっきから申し上げて来た、一人二役で鮎子という、幻をつくりあげたばかりか、それを
更に真実らしく見せるために、さかんにやきもちを焼いてみせた。ところが、さっきもい
いましたが、彼女はその際、一度も女の名を口に出したことはなかったんです。あのひと
とか、あの女とかいっていた。亭主はそれを、小野千代子のことだと思って苦りきり、お
君ちゃんや二人の女は、それを鮎子のことだと思いこんだんです。いや、そう思わせるよ
うに、お繁は用心ぶかく、たくみに口をきいていたんですが、これなども、まったく巧妙
なもんだと思いますね」