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プロローグ 金田一耕助島へいく(2)_獄門島(狱门岛)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3336

 明治になってからは、流る人にんの制はやんだけれど、元来島の住民というものは、きわめて排他心が強いうえに、環境に制約されるところも多いから、めったに他の島々と縁組みをしないものである。だからいま、獄門島に住んでいる三百戸、千数百人のひとびとは、これことごとく海賊と流人の子孫であるといっても、まずまちがいはないのである。

 こういう島で犯罪が起こった場合、その捜査がどんなにやっかいなものであるか、それについては、かつて瀬戸内海のある島で、数年間小学校の先生をしていたKさんという人が、私にこんな話をしてくれたことがある。「私のいた島は人口千人ぐらいでしたが、それが二重三重、ひどいのになると、五重六重と縁組みしているんです。だから、いってみれば全島がひとつの大家族みたいなもので、そういうところへ他国もんのお巡まわりさんが入り込んだところで、なにができますものか。なにか事件が起きると、全島一致結束してあたるから、お巡りさんも手の下しようがない。かれら同士のあいだに起こったいざこざ、たとえば物がなくなったとか、金を盗まれたとかいうような訴えにしたところで、お巡りさんが調べあげて、やっと犯人の目星をつけた時分には、向こうのほうでちゃんと和約が成立していて、いや、あれは盗まれたのじゃなかった、たんすの奥にしまい忘れていましたので……と、いうような調子ですから、のんきといえばのんきですが、また、場合によってはこれほどやっかいなことはありません」

 ふつうの島でさえそのとおりだから、ましてや獄門島のような特殊な島、海賊の末よ、流人の子孫よと、まわりの島々から、擯ひん斥せきされるところからつねに他国人に対して、人一倍はげしい敵意をいだいているこの島で、もしも事件が起こった場合、警察当局がどのように手を焼くか、それは思いなかばに過ぎるものがあるだろう。

 ところがそこに事件が起こったのである! しかも、ああ、それはなんという恐ろしい事件だったろうか。えたいの知れぬ悪夢のような人殺し、妖よう気きと邪知にみちみちた、計画的な一連の殺人事件、まことにそれこそ獄門島の名にふさわしい、なんともいいようのないほど、異様な、無気味な、そしてまた不可能とさえ思われるほど、恐ろしい事件の連続だったのである。

 しかし、これを読まれる諸君が早合点をしてはいけないから、ここに一応ことわっておくが、獄門島とて絶海の一孤島ではないのである。たかが瀬戸内海のことだから、どんなにかけ離れているといったところで知れている。そこには電気も来ているし、郵便局もある。日一回、本土から来る定期の連絡船もある。その連絡船は備中笠岡から出るのである。

 それは終戦後一年たった、昭和二十一年九月下旬のことである。いましも笠岡の港を出た、三十五トンの巡航船、白竜丸の胴の間は種々雑多な乗客でぎっちりとつまっていた。それらの乗客の半分は、ちかごろふところぐあいのいいお百姓で、かれらは神こうの島しまから白石島へ魚を食いに出かけるのである。そして、あとの半分は、それらの島々から本土へ物資を仕入れに来た、漁師や漁師のおかみさんたちである。瀬戸内海の島々は、どこでも魚は豊富だけれど、米はいたって不自由だから、島の人々は魚を持って、米と交換して来るのである。 すりきれた、しみだらけの、薄ぎたない畳敷きの胴の間は、それらのひとびとと、それらのひとびとの持ちこんだ荷物とで、足の踏み場もないほどであった。汗のにおいと、魚のにおい、ペンキのにおい、ガソリンのにおい、排気ガスのにおい、どのひとつをとってみても、あまり愉快でないにおいが、錯さく綜そうして、充満しているのだから、気の弱いものなら、嘔おう吐とを催しそうな空気だけれど、漁師と百姓、いずれも神経の強きよう靭じんな人たちばかりである。そんなことにはおかまいなしに、この辺の人間特有のかん高い調子でしゃべりまくり笑い興じて、その騒がしいことといったらお話にならない。


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