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プロローグ 金田一耕助島へいく(3)_獄門島(狱门岛)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3335

 ところがそういう胴の間の片すみに、ただ一人ちょっと風変わりの男が乗っていた。その男は、セルの袴はかまをはいている。そして頭にはくちゃくちゃに形のくずれたソフトをかぶっている。いまどきは家にいるときの百姓だって、洋服あるいは洋服に類したものを着ている。ましてや旅に出るとあれば、猫ねこも杓しやく子しも洋服を着る。現にこの胴の間につまっている乗客でも、男で和服を着ているのはこの男のほかにもうひとりしかいなかったが、これはお坊さんだから致し方があるまい。

 こんな時代に、あくまで和服でおしとおすこの男は、どこかしんにがんこなものを持っているのだろうが、見たところ、いたって平凡な顔つきである。がらも小柄で、風ふう采さいもあがらない。皮膚だけはみごとな南方やけがしているが、それとてもあまりたくましい感じではない。年齢は三十四、五というところだろう。

 胴の間の喧けん騒そうもどこ吹く風といわぬばかりに、その男は終始窓ぎわによりかかって、ぼんやり外をながめている。瀬戸内海の潮は碧あおくすみわたって、あちこちに絵のような島がうかんでいる。しかしこの男はそういう景色にもかくべつ心を動かすふうでもなく、いかにも眠たげな眼つきである。

 船は神島から白石島、北木島へと寄るたびに、降りる客は多かったが、乗る客とてはほとんどなかった。そして笠岡を出てから三時間、真ま鍋なべ島を出たころには、さしも喧騒をきわめた白竜丸の胴の間にも、たった三人の乗客しか残っていなかった。そして、そのときになってはじめて、例の男がはっと顔色を動かすようなことが起こったのである。

「おやまあ、あんたは千光寺の和お尚しようさまじゃござりませんか。ちっとも気がつきませんでした。あんたどこへおいでなさりました」

 仰ぎよう山さんな男の声に、はっと眠気をさまされたという顔色だった。

 振り返ってみると、声をかけたのは四十五、六の、一見して漁師とわかる男であった。軍隊からの払い下げらしい身に合わぬカーキ色の洋服を着ていた。しかし、例の男が注意をひかれたのはその男ではない。その男から千光寺の和尚さんと呼びかけられたもうひとりの男のほうである。

 その人は、六十──いやひょっとすると七十にちかいのかもしれぬ──と思われるような年ごろだった。しかし、背の高い、肉の厚い体つきは、壮者のようにみずみずしく、眼も鼻も口も大きな顔立ちが、いかにもどっしりした重量感をひとにあたえる。大きな眼はきれいに澄んで温かみもあるがその代わり、どこかひとをひやりとさせる鋭さもあった。白い着物のうえに道みち行ゆきを着て、丸めた頭には浮き織りの縁なし頭ず巾きんをかぶっている。

 和尚は眼め尻じりにしわを寄せて柔らかに笑うと、

「おや、竹蔵か。わしもおまえが乗っていることを、ちっとも知らなかった」

 ゆったりとした口の利きき方である。

「なんしろえらい人で……和尚さん、あんたどこへおいでなさりました」

 竹蔵はもう一度同じことを尋ねた。

「わしかな。わしは呉くれまで吊つり鐘がねをもらいに行ってきた」

「吊り鐘──? ああ、戦争で供出したあの吊り鐘でござりますな、あの吊り鐘がまだありましたか」

「ふむ、鋳いつぶされもせずに無事に生き残っていよったよ」

「それをもらいに……そしてその吊り鐘はどこにござります」

「はっはっはっは、わしがいかに力持ちじゃて、あの吊り鐘はさげてかえるわけにはいかんぞな。ただ手続きをして来ただけよ。そのうちに、島の若いもんに行ってもらわにゃならん」

「ほんに。……なんならわしが行ってきてもよござります。それでも吊り鐘が無事にもどって、おめでとうござりますな」

「そうじゃて。吊り鐘の復員というところじゃ」

 和尚はにっこり笑ったが、すると竹蔵がにわかにひざをすすめて、「そうそう、復員で思い出しましたが、分家の一ひとしさんもちかく復員するそうでござりますな」

「分家の一さんが」

 和尚は急に相手の顔を見直した。

「それがどうしてわかった。部隊から知らせでもあったのかな」

「いや部隊からではござりませぬが、一さんと同じ部隊にいるというもんが一昨日──いや一昨々日だったかな、ひょっこり島へやってきましてな、一さんからことづかったが、無事に生きているから安心してくれ、体も達者じゃ、いずれつぎの便か、つぎのつぎの便でかえるから……と、こう言ってまいりましたのじゃ。それで早さ苗なえさん、大喜びでな、ごちそうをするやら、物をもたしてかえすやら──」

「ふむ、するとその男はかえったのかな」

「はい、かえりました。一晩泊まって……。だいぶしこたま物をもろうていったという話でござりまする。これで本家の千ち万まさんが生きていると、いうことはござりませんな」

「ふむ、本家が生きていればいうことはない」

 和尚は眼をつむって、口のなかのものを吐き出すような調子でつぶやいたが、例の男がそばへにじり寄ってきたのはそのときだった。

「ちょっとお尋ねいたします。あなたは獄門島の了りよう然ねん和尚じゃありませんか」

 和尚は眼をひらくと、ぎろりと相手の顔を見直した。


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