「伯父さんというと……」
「母の兄にあたるひとです。新宮利彦といって、やっぱり以前は子爵でした」
「いとこさんというのはそのひとの……」
「ええ、ひとりっ子です」
「お父さんのお体には、これといって特徴はなかったのですか」
「それがあったら、こんな問題は起こらなかったと思います」
金田一耕助はうなずいて、
「しかし、いったい誰がそんなことをいい出したんです。その死体がお父さんじゃなかっ
たのじゃないかなどと……」
「母です」
美禰子は言下につめたくいいはなった。その声は金田一耕助が思わず顔を見なおさずに
はいられなかったほど鋭く、冷酷なひびきをおびていた。
「お母さんがどうして……?」
「母ははじめから父の自殺を信じなかったのです。父の生死がまだわからなかったころ
も、母は絶対に父が自殺するとは信じませんでした。生きてどこかに姿をかくしているの
だというのが、母の主張だったのです。父の死体が発見されてから、母もいくらか納得し
ましたが、それもほんのしばらくのあいだで、時が経たつにつれて、またまた、父の死を
信じなくなりました。おまえたちはだまされているのだ。あの死体は父ではなかった。父
が誰かを替え玉につかって、自分はどこかに姿をかくしているのだといい出したんです」
金田一耕助は眼を見はって、相手の顔を見まもっている。何かしら、えたいの知れぬど
すぐろい思いが、腹の底から吹きあげてくる。しかし、口ではわざとさりげなくお座なり
をいった。
「それは、しかし、お母さんとしては、夫婦の情として……」
「いいえ、いいえ、そうではございません」
美禰子はまるで、何かをひき裂くような調子で、
「母は父をおそれているのです。父が生きていて、いつか復ふく讐しゆうにかえってくる
のではないかと……」
金田一耕助はギョッとしたように眼をすぼめる。美禰子もさすがにいい過ぎたと気がつ
いたのか、頰ほおからさっと血の気がひいたが、しかし、顔をそむけたり、うつむいたり
するようなことはなく、真正面から耕助の視線をはじきかえすように視つめている。黒い
陽炎が、また彼女のからだをくるんで立ちのぼる。
問題が夫婦間の機微にふれてきたので、相手のほうから切り出さないかぎり、こちらか
ら追究するわけにはいかなかった。美禰子もさすがにそのあとをつづけることは、躊ちゆ
う躇ちよするらしかった。
金田一耕助はそこで話題をかえて、
「そうそう、そういえばお父さんには遺書がなかったんですね。そういうところからお母
さんは……」
「いいえ、遺書はございました」
美禰子はキッパリさえぎった。金田一耕助は驚いて、
「しかし、新聞にはたしか遺書がないというように書いてあったと思いますが……」
「ずっとのちに発見されたのです。その時分には、父の事件もすっかりほとぼりがさめて
いたので、いまさらこれを発表して、また世間の噂うわさの種にすることもあるまいと、
一家の秘密として、外へは洩もらさずにおいたのです」