「あっはっは、これゃあたいへんな騒ぎですな、警部さん、なんだってみんなあんなに昂
奮してるんです」
等々力警部の言葉ぞえによって、やっと玄関から中へもぐりこむことができた金田一耕
助は、額の汗をふきながら、呆あきれたように笑っていた。しかし、警部は笑うどころ
か、むずかしい渋面をつくって、
「金田一さん。笑いごとじゃありませんよ。これはじつにいやな事件です。じつになんと
も、いいようのないほどいやな事件です」
警部の声があまり異様にしゃがれているので、耕助は思わず顔を見なおした。
金田一耕助と等々力警部は、ずいぶん古い馴な染じみである。昭和十二、三年ごろ、警
部の持てあましている事件を、横からひょっこりとび出した耕助が、みごとに解いてみせ
たことがあった。それ以来警部は妙に、この飄ひよう々ひようたるもじゃもじゃ頭の小男
に推服して、かれが事件に容よう喙かいすることを、いやがらないばかりか、かえって歓
迎するふうがあった。金田一耕助もこの警部の、竹をわったような気性を尊敬していた。
そういうわけで、ふたりはもうかなり長いあいだのコンビなのである。それにもかかわら
ず、金田一耕助は、警部がこれほど昂奮しているのを、いままで見たことがなかった。
「警部さん、いったいどうしたというんです。人殺しがあったということですが、殺され
たのは誰ですか」
警部はジロリと耕助を見て、
「金田一さん、あんたまだそれを御存じないのかな」
「知りません。さっき美禰子さんから電話がかかって来たんですが、途中で混線しちまっ
て。……」
「じゃ、こちらへいらっしゃい。いま現場写真をとっているところですから」
応接室にもながい廊下にも、警視庁や警察のひとびとが溢あふれて右往左往していた。
いずれも緊張して、ものものしい顔をしていたが、なかには金田一耕助の顔馴染みのひと
もあって、かるく目礼していきすぎたりした。家人の姿はどこにも見えなかった。
やがて金田一耕助が、警部に案内されてやってきたのは、昨夜、あの奇妙な砂占いのお
こなわれた部屋だった。部屋のまえに刑事がふたり立っているのを見て、金田一耕助は驚
いて警部に訊たずねた。
「警部さん、それじゃ人殺しのあった現場というのは……」
警部はむずかしい顔をして、
「そうです、金田一さん、あなたは昨夜ここへ来られたそうですね」
金田一耕助が無言のまま、警部のあとについて部屋のなかへはいっていくと、いましも
写真班がさかんにフラッシュをたいているところだった。そのフラッシュの閃せん光こう
をさけながら、すばやく部屋のなかを見まわした耕助の眼に、まず第一にうつったのは、
竦しよう然ぜんとして部屋のすみに立っている、目賀博士と三島東太郎のすがたであっ
た。ふたりとも警部といっしょにはいってきた、金田一耕助のすがたを見ると、びっくり
したように眼を見張った。
金田一耕助もまた、このふたりがどうしてここにいるのかとふしぎに思ったが、しかし
つぎの瞬間、彼の注意は部屋のなかにくりひろげられた眼もあてられぬ惨状に、すっかり
奪われてしまったのである。
部屋の三方には昨夜のまま、まだ黒いカーテンが張りめぐらしてあり、その中央にある
円卓をとりまいて、十ばかりの椅い子すが不規則にならんでいるのも、昨夜のままだった
が、ドアをはいって向かって右側にある椅子が、ふたつ三つひっくりかえり、そのあいだ
に仰向けになって倒れているのは、玉虫もと伯はく爵しやくであった。