「そのときの御老人の様子はどうでした」
「だから、さっきも申し上げたように、ひどくおむずかりでございました。何やらぶつぶ
つ口のうちで呟いたりして……」
「昨夜は宵のうちからそうでしたか」
「いいえ、宵のうちはべつに……ああなったのは砂占いのあとからでしたわね。きっとあ
の変てこな紋みたいなものがいけなかったのね。そうそう、火か焰えん太だい鼓こ、そう
おっしゃったのは先生でしたわね。それからフルートの音、……でも、どちらかという
と、火焰太鼓のほうが大きなショックだったらしいわ。ひどく考えこんで、びくびくし
て……」
「びくびくして……?」
「ええ、そう、爺いさん、いえ、あの、御前様には珍しゅうございますわ。あんなこと」
「ええ……と、さて、十一時過ぎに離れへかえると、あなたはどうしましたか」
「すぐに横になりましたわ。でも、はじめのうちは御前様がおかえりになるかと思って、
心待ちにしてましたのよ。でも、いつまで待ってもそんな様子がないので、とうとう寝込
んでしまいましたの。電気をつけたまま……」
「それで三時ごろに眼がさめたわけですか」
「ええ、眼がさめたときはびっくりしましたわ。だって電気はつけっぱなしだし、御前様
の寝床はからだし、それで時計を見るとかれこれ三時でしょう。いくらむずかるったっ
て、これではひどいと思ったので、あの部屋へいってみたんです。すると、電気はついて
るし、扉にはなかから締まりがしてあるのに、いくら呼んでも返事がないので、あの台の
うえにあがって、欄らん間まからなかを覗のぞいたんです。そしたらあのとおりの有様
で……」
「そのとき、あなたは咄とつ嗟さになんとお考えになりましたか」
「むろん、脳出血だと思いました。だって、寝るまえに何度もそういって、注意したくら
いですもの」
「ところで砂鉢のほうもごらんになったでしょうが、あの紋章には気がつきませんでした
か」
「気がつきませんでした。あれ、欄間からじゃ見えないんじゃないでしょうか」
「ところが見えるんですよ。はっきりと」
「あら、そう、じゃ気がつかなかったのね」
「あなたはあの紋章の意味を御存じじゃないでしょうか」
「存じません。どうしてあれがうちの爺いさん、あら、ごめんなさい、つい口癖になって
るもんですから、……御前様をあんなにびっくりさせたのか、あたし不思議でなりません
の。でも、あの紋章の意味を知ってるひとは、ほかにもだいぶんあるようですわね」
菊江もはじめて、いくらか真剣な顔色になって眉まゆをひそめた。
金田一耕助はちょっと考えたのち、
「さて、それからあなたは三島君を呼びにいかれたわけですね。それからあとのことは、
三島君や目賀先生に承って、だいたいわかっているつもりですが、何かあなたにお気付き
の点はありませんか」
菊江はちょっと考えていたが、
「ああ、そうそう、あのこと……先生はお種さんや あき子こ奥さまが、亡くなった子し爵
しやくの姿を見たということをお聞きになりませんでした?」
金田一耕助はちょっと緊張して、
「ああ、そうそう、そのことについてあなたのお考えは?」
「あたし、迷信家じゃありませんの、こんな性ですからね。だからこの間の東劇でのこと
がなかったら、頭からお種さんや 子奥さまを馬鹿にしてしまいますわ。だけど、ほんとに
不思議ですわ。東劇であったひと、子爵にそっくりだったんですものね。あたしゾッと水
を浴びせられたような気がしたんです。それでなかったら、あたしすぐとんでいって、相
手の正体を見きわめたんですけれどね」
「あなたはその男が、昨夜ここへ来たのだと思いますか」
「そうじゃないんでしょうか。だって、あんなによく似たひとが、あちらにもいる、こち
らにもいるというんじゃ耐らないわ。ひとりで沢山よ」
「あなたのお考えじゃどうです。その男は子爵でしょうか。他人の空似でしょうか」
菊江は大きな眼を見張って、まじまじと耕助の顔を見ていたが、急にかすかに身ぶるい
をすると、
「わかりません……と、申し上げるよりほかにしかたがありませんわ。先生、もう堪忍し
てください。あたしなんだか怖こわくなって来ちゃった。そんなに臆おく病びようなほう
じゃないんですけれど。……」
「いや、失礼しました。それじゃね、向こうへいったらお種さんに、ここへ来るように
いってください」
お種が来るまでには相当ひまがかかった。そのあいだにいまの菊江の態度について、警
部や刑事たちのあいだに議論がたたかわされたが、結局、あの女の本心は捕ほ捉そくしが
たいというところで意見が一致した。