実際、そのときの応接室の緊張には、筆にも言葉にも尽しがたいものがあった。みんな
いちように眼を見張り、焦こげつくようにお種を見ている。もし、視線がひとをやき殺す
ものなら、お種は周囲からの視線に射すくめられて、真っ黒になって焦げ死んだろう。
「いいえ。いいえ」
お種はむざんに顔をひきつらせ、大きく息をはずませながら、
「ちょうど月の光がそのひとの、背中のほうからさしていたので、顔ははっきり見えませ
んでした。でも……でも……」
お種はふたたび大きく喘あえいだ。喘いで語尾をふるわせた。
「でも……どうしたんですか」
「月の光がさしたとたん、そのひとの口に当てているフルートが、きらりと光るのが見え
たんです。それは……それは……黄金のフルートでした。旦だん那な様が常つね日ひ頃ご
ろ、愛用していられた黄金のフルート……そして、……そして……旦那様といっしょに、
行く方がわからなくなった黄金のフルート……」
だしぬけにお種は顔に両手をおしあて、わっとばかりに泣き出した。肩をゆすって泣く
たびに、お種の指のあいだから、真珠のような涙がこぼれ落ちる。
一瞬、部屋のなかに、凍りつくような沈黙が落ちてきた。何かしら惻そく々そくとし
て、冷たい鬼気が身にせまる。誰もかれもそおっと背後を、ふりかえって見たくなる気持
ちだった。
「お種さん」
しばらくして金田一耕助が、しゃがれた咽の喉どの痰たんを切りながら声をかけた。
「あなたはそのひとを、ほんとの椿子爵だと思いますか、それとも、誰かが子爵のまねを
して、あなたを脅かしたのじゃありませんか」
「いいえ、いいえ、あたしにはわかりません」
お種ははげしく首を横にふりながら、
「でも、あのフルートはたしかに旦那様のものでした。それに……それに……はっきり見
えなかったとはいえ、横顔の淋さびしそうな線やなんか、たしかに旦那様のようでした。
それに、そのあとで奥様やお信乃さんも……」
「いや、奥さんやお信乃さんのことなら、あのひとたちに直接訊ききます。それより、お
種さんはそれからどうしたんですか」
お種は袂たもとを顔におしあてて泣きじゃくりながら、
「あたしは馬鹿でございました。旦那様だとわかったら、すぐそのそばへとんでいくんで
した。だって旦那様はお優しいかたで、いつもあたしを可愛がってくだすったんですも
の。それだのに……それだのにあたしったら」
お種は腹立たしげに体をゆすりながら、
「そのときは無性に怖こわくて、新宮さんのお宅のほうへ、逃げ出してしまったんです」
「新宮さんのところでは、そのことを話したんでしょうね。椿子爵らしいひとにあったと
いうことを」
「ええ、それはもちろんお話ししました。でも、どなたも御信用なさらないで……それに
玉虫の御前様のことがございますものですから、そのほうに気を取られていらっしゃった
ものですから。……でも、皆様とつれ立って母おも屋やのほうへかえる途中、さっきあの
かたを見かけたところを通りましたので、そのことを申し上げますと、一彦さまがちょっ
とそのへんを探していらっしゃいましたが、そのときにはもう、あのかたのお姿はどこに
も見えなかったんです……」
お種のくちぶりから察すると、彼女はあくまでその男を、椿子爵だと信じているらし
い。こうして事件はいよいよ怪奇な様相を深めていく。一同は緊張した眼を見交わした。
「それではお種さんに、もうひとつお伺いいたしますがね」
金田一耕助は内心の沸たぎりたつような昂こう奮ふんをおさえて、出来るだけさりげな
い声でいった。