「美禰子さん」
金田一耕助はやさしくその肩に手をおくと、
「お父さんのケースですか」
美禰子は両手で顔を掩うたまま、力なくうなずいたが、やがて顔から手をはなすと、苦
痛にゆがんだ眼でケースを見ながら、
「先生、警部さま、これはいったいどういうことになるんですの。それじゃ、やっぱり、
お母さまの直感があたっていたということになるんですの。そして、昨夜お父さまは、こ
こへかえっていらしたんですの」
金田一耕助も警部も、すぐにはそれに答えることが出来なかった。美禰子は何かを引き
裂くような声で、
「あたし、誰の言葉も信じやあしない。お種がいくらお父さまにお眼にかかったといった
ところで、また、お母さまや信し乃のが、いくらお父さまの姿を見たといっても、あたし
信じることは出来ないんです。だって、だって、お父さまはかえっていらっしゃったら、
誰をおいてもあたしのまえに、姿を見せてくださるはずなんですもの。しかし、このケー
スは……ああ、このケースは……ねえ、金田一先生、お父さまはほんとうに、昨夜ここへ
かえっていらしたんですの」
美禰子はまた両手で顔を掩う。
「美禰子さん」
耕助はその肩を軽くたたきながら、
「このケースはお庭の防空壕ごうのなかにあったというんですがね。ひょっとすると、
ずっとせんからそこにあったんじゃありませんか」
美禰子は首を強く左右にふって、
「いいえ、そんなことはありません。二、三日まえにもあたし、防空壕へ入ってみまし
た。あたし誰にもさまたげられないで、考えごとをしたくなったときには、いつも防空壕
へいくんです。そして、そこで一時間でも二時間でもぼんやりしているんです」
三家族同居しているこの奇妙な家のなかで、母にうとまれ、親しん戚せきからも無視さ
れてきた、このあまり美しからぬ娘にとっては、つめたい防空壕も夢殿のような神聖な場
所なのだろう。金田一耕助はこの孤独な娘の魂の訴えを聞いて、ちょっと心を打たれずに
はいられなかった。
「美禰子さん、美禰子さん」
金田一耕助はその肩をたたいて、
「泣くのはおやめさい。いまは泣いてる場合じゃない。いろいろお訊たずねしたいことが
あるんですから」
美禰子はうなずきながら涙をふいて、紙のように蒼あお白じろんだ顔をあげると、
「すみません。あたしもそう思っていながら、あまりお父さまがお気の毒ですから。……
お父さまはお亡くなりになってからも、悪いひとたちに利用されていらっしゃるんです
わ。でも、もう泣きません。なんでもお訊ねくださいまし」
美禰子はけなげに姿勢を立てなおした。
「それじゃ、まず昨夜のことからお伺いしましょう。これはだいたいほかのかたから聞い
ているんですが、一応、あなたの口からもお伺いしましょう」
美禰子はうなずいて語り出した。
金田一耕助がかえって間もなく、 子の発作がおさまったので、自分の部屋へひきさがっ
たこと。しかし昂こう奮ふんしているのでなかなか眠れなかったこと。そのじぶん玉虫も
と伯はく爵しやくがまだひとりであのアトリエにいたとは夢にも知らなかったこと。その
うちに、うとうとと眠ってしまったこと。三時ごろお種が目賀先生を起こしにきた声で眼
がさめたこと。いっしょにアトリエへいったこと。……美禰子は要領よく順序立てて語っ
たが、べつに耳新しい事実はなかった。