「しかし、ねえ、美禰子さん、お父さんがお母さまのお許しを得て、宝石を売るというこ
とはあり得ることでしょう」
「いいえ、絶対にそんなことはあり得ません」
美禰子は急にいつものねつい調子になって、
「母に宝石を売らせようなどということは、駱らく駝だが針の穴をとおるよりも不可能な
ことです。母は家を手ばなすようなことがあっても、宝石を手ばなすようなことはないで
しょう。ああいうタイプのひとにありがちな、母は宝石マニヤなんです」
金田一耕助はまた等々力警部と顔見あわせる。もし、あの密告状が事実とすれば、椿子
爵はいったいだれの宝石を売るつもりだったのだろう。金田一耕助の心はしだいに重く
なってくる。かれはものうげに頭をかきながら、
「いや、それじゃ、まあ、その問題はそれくらいにしておいて、もうひとつお訊ねがある
んですがね。この家にタイプライターがありますか」
美禰子はびっくりしたように、耕助の顔を見直した。そして質問の真意をさぐろうとす
るかのように、まじまじと耕助の顔を視みつめていたが、やがて、
「はい、ございます」
と、キッパリと答えた。
耕助はびっくりしたように等々力警部の顔を見る。それから息をはずませて、
「タイプライターが、あるんですって? この家に……そして、いったい、どなたがおや
りになるんです」
「あたしがやるんですわ。先生、どうしてそんな顔をして、あたしをご覧になるんです
の。あたしがタイプを打っちゃいけません? 終戦後父がすすめてくれたんです、それで
母におねだりして、さる筋のかたからタイプライターを譲っていただきました。あたし、
五か月教習所へ通って習いました。そして、この春学校を出ると同時に、さる会社の渉外
部で使っていただくことになっていたんです。しかし、あんな事件があったものですか
ら、母が外聞を悪がって、勤めに出してくれないんです。あたしいまでも働きに出たいと
思ってます。こんなことさえなかったら。……」
美禰子の眼がまたしっとりと濡ぬれてくる。しかし、金田一耕助はいま、彼女の感傷に
ついていくひまはなかった。
「そして、そのタイプライターはどこにありますか。ちょっと見せていただきたいんです
が……」
耕助が立ちあがりそうにするのを押しとめて、
「いいえ、あたしが持ってまいります。軽いんですから」
美禰子は涙をふいて部屋を出ていった。
「警部さん、密告状のタイプライターの字、おぼえていますか。……」
「さあ。……確信はないが……しかし、この家にタイプライターがあるとすれば、むろ
ん、それを使ったんでしょうな」
間もなく、美禰子がさげて来たのは、鞄かばんのなかにゆっくり入りそうな小さな機械
だった。
「ほほう、これは可愛いんですね。何んという機械ですか」
「ロケットというんです。スイスのヘルメス会社のもので、これはまだ正式には日本に輸
入されていないそうです。打ってお眼にかけるのでしょうか」
「そう願えれば……」
美禰子はタイプライターをテーブルのうえにおくと、蓋ふたを開いて機械を調整し、紙
をはさむと、かたわらに用意してきた英語のリーダーをおいて、やがて、パチパチと霰あ
られのような音をさせ、みるみるうちに紙面いっぱいにタイプを打った。なかなか見事な
手なみである。
「これでよろしいでしょうか」
金田一耕助は紙を受け取ると、さっとそれに眼を通し、警部のほうへ差し出した。警部
はしばらく眼を皿のようにして、打たれた文字を見つめていたが、やがて、耕助にむかっ
てかすかにうなずく。金田一耕助は音を立てて息をうちへ吸いこむと、
「ところで、美禰子さん、このうちにあなたのほかに、タイプライターの打てるひとがあ
りますか」
「はあ、一彦さんと菊江さんが打てます。ことに菊江さんはお上手です。あのかたは眼を
つむってても打てるんです。指がきまっていますから……」
「菊江さんが打てるんですって、タイプを……そんなに上手に……?」
「ええ、あたしがお教えしたんです。あのかたとても器用で熱心で……あたしあのかた好
きじゃないんですけれど、そういう点ではいつも敬服しています」
そこへお種が、お食事の用意が出来ているんですけれど、ここへ持ってまいりましょう
かと訊ききに来た。いつか正午を過ぎているのである。