「ふうむ!」
等々力警部はふとい溜ため息を吐き出すと、
「もう間違いはないな。昨夜の男が椿子爵であったか、なかったかは別問題としても、こ
の事件に天銀堂事件の犯人が関係していることはこれでたしかだ」
「しかし、警部さん」
耕助は自分の感傷をふりおとすように、強く首を左右にふると、眼をひらいて警部のほ
うへ向きなおった。
「同じような出来の耳飾りが、幾いく対ついもあるというようなことは。……」
「それはないんだ。これは某華族の夫人から出たものですが、特別の注文によってつくら
れたものだそうだから、絶対に同じような品はないんだ。沢村君」
沢村刑事の耳に何かささやいていたが、それを聞くと刑事はすぐに、ふたつの耳飾りを
ふたつの封筒におさめると、それをポケットに突っ込んで、風のように部屋を飛び出し
た。おそらく本庁へ報告にいったのだろう。本庁の昂奮が思いやられる。金田一耕助は熱
いものでも飲みくだすように、ごくりと咽の喉どを鳴らせてまた眼を閉じた。
「ところで……と」
警部はいらいらと部屋のなかを歩きまわりながら、
「これからどうしたものかな」
「お信乃さんを呼んで訊いてみるんですな。あの女も昨夜、椿子爵らしい人物を見たとい
うことだから」
「よし!」
警部はすぐに人を呼んで、信乃をつれてくるようにいいつけた。
ちょっと手間をとらせたのち、信乃は刑事に連れられてやって来た。ドアのところで立
ちどまった信乃は、ちょっとの間、警部と金田一耕助の顔を見くらべていたが、やがて無
言のまま部屋へ入ってくると、自分から椅子に腰をおろして、さてまた、ふたりの顔を見
くらべた。
「あの、どういう御用件か存じませんが、出来るだけ手っ取りばやくお願いしますよ。 子
さんの手がはなせませんからね」
どこか棘とげのある切り口上である。
まえにもいったように、世にこれほど醜い女はないが、また、いっぽう、世にこれほど
威厳にみちた女もない。おでこで、眼玉がとび出して、鼻がへしゃげて、口が大きく、し
かも顔中皺しわだらけなのが、まるで古雑ぞう巾きんのようである。しかし、ちぢれっ毛
をきれいに撫なでつけ、小さい髷まげを後頭部にくっつけているところといい、渋い結ゆ
う城きをきちんと着て、両手を膝ひざのうえにかさね、ふたりの顔をギロリと睥へい睨げ
いする眼つきといい、まるで大軍をも叱しつ咤たすべき気き魄はくである。
「ああ、いや、お手間はとらせません。昨夜のことについてお訊きしたいと思いまして
ね」
警部は体を乗り出して、
「昨夜あなたは椿子爵によく似た人物をごらんになったそうですが、そのときのことにつ
いて、ひとつどうぞ……」
信乃はまたギロリとふたりの顔を見て、
「そうですか。それではお話しいたしましょう」
と、ねちねちとした切り口上で、
「皆さまがアトリエの方へおいでになったあとで、 子さんが御不浄へついていってくれと
おっしゃるのです。いいえ、いくらあのかたがねんねえでも、いつもはそうではございま
せんが、昨夜は宵にへんなことがあったものですから、ひどく怯おびえて……いえ、その
ときはまだ人殺しのことは御存じではありませんでしたが……とにかく、ひとりで御不浄
へいけなかったんです。それで、わたくしがお供申し上げたのですが、外でお待ちしてお
りますと、なかからキャッという 子さんの悲鳴でございます。それで、尾び籠ろうな話で
すが、わたくしもなかへとびこみまして、……すると 子さんが窓の外を指さして、あそこ
に主人が立っている。……と、それこそ、気が違ったようなていたらくでした。そこでわ
たくしもひょいと外をのぞいたのですが、すると御不浄の窓から二、三間はなれたところ
に……」
「椿子爵、あるいは椿子爵に似た人物が立っていたんですか」
「はい、黄金のフルートを持って」
「あなたははっきり顔を見ましたか」
「はっきり見ました。月の光が真正面から顔を照らしていたものですから」
「あなたはそれを椿子爵だと思いますか」
信乃はまた禿はげ鷹たかのような眼でギロリと警部の顔を見ると、
「そんなこと、わかるはずがございません。ただちょっと見ただけですから。でも、たい
へんよく似たひとでした」
「それから、どうしましたか」
「むろん、御不浄からとび出しました。そこへ目賀先生と利彦さん……いえ、新宮さん
が、悲鳴をきいて駆けつけてこられたので、その話を申し上げました」
「それで、おふたりは、その男をさがしに出られたのですか」
「いいえ、目賀先生はお年寄りですし、新宮さんというかたは、とても、そんな勇気のあ
るかたではございません」
憎々しげにいいはなった信乃の声は、まるでいかの墨のようにドスぐろい悪意にみちて
いる。