「あっはっは、そうでしょう、そうでしょう。そうだとすれば、やはりあの火焰太鼓に
は、新宮さんや奥さんの御存じのない、何か別の意味があるにちがいない」
「そうでしょうか。それならいいんですけれども……もし、あれが主人に罪をきせるため
の仕業だとしたら、わたし、りっぱにいい開きが出来るんです。主人は昨夜、ずっと別棟
のほうに、わたしどもといっしょにいたのでございますから」
華子のいいたかったのは、おそらくそのことだったのだろう。
「いや、有難うございました。その痣を見せていただいたのは、大きな参考になりました
よ。それではもうお引きとりになってください。ああ、それから一彦君がいたら、ちょっ
とこちらへ来るようにいってくださいませんか。なに、ちょっと簡単な質問があるだけな
んですから、御心配なく」
一彦に対する質問はまったく簡単なものだった。一彦も昨夜、あの殺人事件が発見され
たとき、欄らん間まから殺人の現場を覗のぞいたひとりである。
「あのとき、あなたはあの砂鉢のうえに、血の紋章がえがかれているのに、気がお付き
じゃありませんでしたか」
そういう金田一耕助の質問に対して一彦はただ簡単に否と答えた。
「ああ、そう、有難うございました。ただそれだけですが……ああ、ちょっと」
「はあ」
「あなたは椿子爵のフルートのお弟子だそうですね。きっとお上手なんでしょう」
「はあ、あの、上手っていうわけじゃありませんけれど、ひととおりは……」
「どうでしょう、子爵の遺作『悪魔が来りて笛を吹く』の曲をお吹きになることが出来ま
すか」
「はあ、吹けると思います。譜がありますから」
「そう、それじゃいつか聞かせていただきたいものですね。いや、どうも有難うございま
した。それじゃこれで……」
あとになって金田一耕助は思うのだが、このとき思いきって一彦にあの問題の曲を聞か
せて貰もらっていたら、もっと早く犯人をつきとめることが出来ていたかも知れないのに
と……。
それはさておき、それから間もなく等々力警部と、いったん警視庁へひきあげた金田一
耕助は、さっそくあの密告状というのを見せて貰った。
警部もいったとおり、それはタイプライターで打ったものだったが、素人しろうとの眼
で見ても、それが美禰子の機械で打たれたものであることはあきらかだった。
「やっぱり、そうのようですね」
「ふむ、いずれ鑑識のほうへ回して厳重に検査させるが、だいたいあの機械で打たれたも
のと思って間違いがないようだね」
「そう、美禰子さんもいっていたが、あの機械、ロケットとかいいましたね、あれはまだ
正式に、日本に輸入されていないという話ですから、あちらにもある、こちらにもあると
いう品じゃないにちがいない。おや……」
密告状を読んでいるうちに、金田一耕助はふいに眉まゆをひそめて、首をかしげた。
「どうかしましたか」
「ええ、ちょっと……警部さん、このローマ字の文章、全部YとZとを打ちちがえていま
すね、これはどういうわけでしょう」
なるほど、密告状というのは、文章そのものには取り立てていうほどのことはなかっ
た。さっき警部もいったとおり、天銀堂事件が起こった前後、子爵がどこかへ旅行してい
たこと、しかも子爵は家の者にむかって蘆あしの湯へいくと称していたが、実際はそこへ
いっていないこと、この行く方不明の旅行からかえって間もなく、子爵が三島東太郎と、
宝石の売りさばきについて密談していたこと。……
と、そういうことが箇条書きに羅ら列れつしてあるのだが、そのなかに出てくることば
のうち、例えば「行く方」だの「蘆の湯」だの、「家の者」だのと、ローマ字でYを使う
べきところは、全部いったん Zukue, Ashino-zu, izenomono と間違って打たれ、その逆に、
「前後」だの「残念ながら」というところは、Yengo, Yannennagara と打たれ、そしてあと
でそれらのYとZを紫鉛筆で訂正してあるのであった。