「その別荘で、ですか」
「さよさよ」
「そして、相手は誰なんです」
「ところが、それをわたしは知らんのだす。いえ、これは正直な話。第一、わたしはこの
話を、ずっとのちまで知りまへなんだのや。しかし、まあ順序を追うてお話しすると、お
こまはんがボテレンになったもんだすさかいに誰かが……たぶん玉虫の御前だっしゃろ、
……手切れ金を出しておこまはんを、植辰のとこへかえしたわけだす。植辰は相当もろた
にちがいおまへん。そののちとても景気がよろしおましたさかいにな。さて、おこまはん
のことだすが、ボテレンになったもんをひとりでおいとくわけにもいきまへん。それで植
辰がじぶんの使てる職人の、源やんいうもんにめあわしたんだす」
「なるほど、なるほど、それで……」
「わたしがこのことを知ったのは、それからのちのことだすが、おこまはんの産んだ子
は、お小さ夜よちゃんちゅうて可愛らしい娘だした。おこまはんはまえにもいったとおり
べっぴんで、それに行儀作法もひととおり心得てます。気質もやさしいひとだした。それ
にひきかえ亭主の源やんちゅうのは、年が七つもちがううえに、みっともない顔をした男
だした。それやさかいに、源やんがおこまはんを、どないに大事にしてもええはずやの
に、これがとってもおこまはんをいじめるんだす。打ったり、蹴けったり、ひどいときに
は髪の毛とってひきずりまわしよる。わたしそれが不思議で、そのじぶんまだ生きてた、
うちのお父つぁんにそのことを訊きいたんだす。するとお父つぁんの返事ちゅうのが、そ
ら、仕方がない、お小夜ちゃんちゅうお荷物をもって夫婦になったんやさかいな。源のや
つもそのときは承知のうえやったが、やっぱりどないかすると、そのことがむしゃくしゃ
するのんやろと。わたしそのときはじめておこまはんが、玉虫さんの別荘でみごもった、
いや、みごもらされたんやいう話聞いたんだす」
「それでお父さんも、お小夜という子の父親を誰とも御存じなかったんですか」
「さあ、それはどうだすやろ。お父つぁんはひょっとすると知ってたかも知れまへん。し
かし、わてにそれだけの話をしただけでも、しもたいうような顔してましたさかい、知っ
てても、わてに云わなんだんかも知れまへんなあ。しかし、お小夜ちゃんちゅう娘の父親
が誰やったにしろ、奉公人同士乳繰りおうたちゅうわけのもんやおまへんやろ。そんなら
なにも、玉虫の御前に、それほど責任があるわけやおまへんさかいな。やっぱり誰か、御
前の親しん戚せきのひとだすやろなあ」
「おかみさんは新宮さん、 子さんのお兄さんですね。そのひとにも逢あったことがあると
いう話でしたが、憶おぼえてますか」
おかみは眉まゆをひそめて、
「それがな、どうしても思い出せまへんのだす。 子さまがお兄さまやいうかたと、御一緒
に来られたことはたしかなんやが、このあいだ新聞を見てから、思い出そ思うて苦労した
んだすが、どないしても思い出しまへん。わたしらのあの時分の年頃やったら、女より男
のほうが……それも子し爵しやくさんの坊っちゃんやと聞いたら、なおのこと眼につくは
ずだすがなあ。ひょっとしたらあのかた、影のうすいひととちがいますか」
おかみのその観察はたしかにある意味であたっていた。新宮利彦というひとは内心はい
ざ知らず、ちょっと見たところでは、たしかに影のうすいところがあった。美み禰ね子こ
もいっていたではないか。伯お父じさまは影弁慶よと。
「どうでしょう、おかみさん、おこまさんというひとをはらませたのを、新宮さんだと考
えては……」
おかみはちょっと考えて、
「そら、そうかも知れまへん。しかし、そのことなら椿つばきさんがなにもこっそり、い
まになって調べに来やはることないやろうと思いますけれどなあ。そら、そんなことがわ
かったら、名誉なことやおまへんが、と、ゆうて、世間に例のないことでもおまへんさか
いなあ」
「どうだろう、おかみさん」
出川刑事は膝をすすめて、
「おこまの相手を玉虫の御前だと考えたら」
しかし、おかみは一言のもとにその考えを打ち消した。