「それごらん、おすみちゃん、ぼくのいったとおりだろう。君はなかなか悧巧じゃない
か」
「また、あんなこと……」
おすみはどこか、文楽の人形の首に似た顔を、うすく染めながら、
「そんなことはどうでもよろしいが、なあ、お客さん、椿さんが淡路へわたらはったかど
うかはべつとして、漁師の舟に乗らはったことだけは間違いないと思いますのん」
「どうしておすみちゃんはそのことに、それほど強い確信が持てるんだね」
「それはなあ、お客さん、わたしのお父さんいうのが釣りが好きで、戦争中の景気のええ
時分、よう明石へ釣りにいったもんだす。そこから漁師の舟に乗って、沖へ釣りに出るの
だすわ。あのへん、日本でもいちばんおいしい魚がとれるとこだすさかいにな。そんなと
き、釣りからかえってきたお父さんの匂いいうのが、あのとき、椿さんのお洋服や外がい
套とうにしみついてた匂いと、そっくり同じやったんですもの。そのお父さんも戦災で、
のうなってしまわはりましたけれど。……」
おすみはちょっと沈んだ声になったが、急に気がついたようにあたりを見回し、
「あら、わたしとしたことが、おしゃべりに夢中になって、うっかり通りすぎてしまうと
こやったわ。お客さん、ここが葛城さんの別荘の跡だすの」
おすみの言葉に、金田一耕助も夢からさめたように、あたりを見み廻まわす。
すると、足下にみごとに焼け落ちた三千坪ばかりの敷地を見出すのである。もとはい
ま、金田一耕助やおすみの立っている坂の片側に、煉れん瓦が塀べいかなにかがきずかれ
ていたのであろうが、それも完全に焼けくずれて、すっかり裸にされた敷地のなかは、建
物といい、庭の樹木といい、みごとに焼けおちて、ほとんど一物をあまさずというありさ
まだった。三春園のおかみがいったとおり、残っているのは庭石と石いし燈どう籠ろうだ
け、それも白く焼けただれて、折りからの秋の西陽を吸うているのが物悲しい。
「これはまた、みごとに焼けていますね」
金田一耕助は慨嘆しながら、
「ときに、おすみちゃん、椿さんが立っていたというのはどのへんだね」
「あそこ、ほら、お池のそばに石燈籠が立ってまっしゃろ。あのそばに立ってはりました
の。そして、わたしの姿に気がつくと、向こうに見える正門から、すたすた外へ出ていか
はりましたの。お客さん、ちょっとそこからおりて見まほ」
坂の途中に通用門でもあったらしく、石段がななめについている。
「おすみちゃん、もういいよ。君はもう行きたまえ。おそくなるといけないから」
「ううん、構いませんの。姉さんのうち、すぐそこだすさかいに」
焼けくずれて、足下も危っかしくなっている石段を、おすみは構わず下駄でとんとんお
りていく。金田一耕助もそのあとからつづいた。
石段をおりると、焼けくずれた瓦が礫れきの堆たい積せきのあいだ、いちめんの雑草で
ある。雨にぬれた赤まんまの穂が、さざなみのようにそよいでいる。おすみと金田一耕助
は、着物のすそをしとどにぬらして、さっきおすみの指さした石燈籠のそばまでたどりつ
いた。
もとはきっと、名だたる名園でもうつしたのであろう。池や築つき山やまのたたずま
い、庭石の配置、いくらか昔の面影をとどめているとはいうものの、いまはもうむなしい
廃はい墟きよでしかない。
「ほんまにもったいないことしたもんやわ。わたしらなかへ入ったことはおませんけれ
ど、塀の外から見ても、御殿のような屋根が見えてましたのに。……」
その御殿のような建物も、いまはもう跡かたもなく、雑草に埋もれた土台が、そのかみ
の栄華の夢を物語るばかり。
とんぼがいっぴき来て、つと石燈籠の笠かさにとまった。おすみは娘らしいおさなごこ
ろから、本能的にそれを捕えようとして、石燈籠のそばへよった。とんぼはおすみの指を
待つまでもなく、ふっと空へとび去っていく。
おすみはしかし、そのまま動かず、石燈籠の灯入れのおもてを一心不乱にながめていた
が、急に金田一耕助のほうをふりかえると、
「お客さん、お客さん」
と、あわただしく呼んだ。
「なんだい、おすみちゃん」
「ここになんや、けったいなことが書いておますわ。悪魔ここに……それから、これなん
ちゅう字だすの」
「悪魔……?」
金田一耕助もぎょっとしたような気持ちで、おすみのうしろへ来て立った。
「ほら、ここに……燈籠の御み影かげ石いしのうえに。……」
なるほど、白く焼けただれた石燈籠の灯入れのおもてに、抉えぐるように書かれた青鉛
筆の文字が、雨にさらされてかえって黒味を濃くしてしみついている。これは椿英輔氏の
筆ひつ蹟せきにはなはだ似ていて、文句は、
──悪魔ここに誕生す。