「ええ、誰かが石かなんかで削り落としたんですね。石燈籠の灯入れの、先生が昨夜おっ
しゃったところが、白く磨かれたようになっているんです」
金田一耕助はしばらくは物もいわずに、穴のあくほど相手の顔を視みつめていたが、
「それじゃ、昨日、ぼくとおすみちゃんがあの焼け跡を立ち去ってから、誰かやってき
て、石燈籠の文字を削り落としたというんですか」
「そうとしか思えませんね。しかも、それはなんの関係もない悪戯いたずら小僧やなんか
の仕業とは思われませんね」
「と、すると、今度の事件の関係者の誰かが、こっちへ来てるとでも……」
出川刑事はくらい顔をしてうなずくと、
「まさか、当人自身が来れるはずはありませんから、誰かがそいつの指令をうけて、やっ
て来てるんじゃないでしょうか。もうひとつ妙なことがあるんです」
「もうひとつ妙なことというと……?」
「板宿で聞きこみが終わると、わたしはすぐ神戸の新開地へいったんです。おたまのいた
のはミナト・ハウスというんですが、そこへいってもういちど、おたまや妙海尼のことを
聞いてみました。それについちゃ、別に新しい事実も聞き出せなかったんですが、わたし
がいく一時間ほどまえに、やっぱりおたまのことを聞きにきた男があるそうです」
金田一耕助は無言のまま、出川刑事の顔を眺めている。何かしら不安なものが腹の底か
らこみあげてくる。
「そいつも、しつこくおたまのことを聞いていたが、結局、要領を得ずにかえっていった
というんです。ほかの場合なら、わたしも何気なく聞きのがしたかも知れません。しか
し、あの石燈籠のことがあるもんだから、なんとなく気になって、その男の人相を聞いて
るうちに……」
「その男の人相を聞いてるうちに……?」
「わたしゃ、いよいよ不安になったものだから、これを出して見せたんです」
と、出川刑事が腰をうかして、干してある上衣のポケットから取り出したのは、椿子爵
の写真である。
「ひょっとすると、そいつはこの写真の男ではないかと訊たずねたところが……」
出川刑事は耕助の眼をきっと見て、しゃがれた声でささやくように、
「今朝来た男は眼鏡をかけ、口くち髭ひげを生やしていたけれど、この写真に非常によく
似ているという返事なんです」
出川刑事とがっきり眼と眼を見交わしている金田一耕助の肚はらの底には、いかの墨の
ような、ドスぐろい想いがひろがり、なんとも名状することの出来ぬ戦せん慄りつが背筋
をつらぬいて走るのを禁じえなかった。それでは椿子爵は、やっぱり生きているのであろ
うか。……
番頭が目指す漁師をさがしあて、明石からつれてきたのは、それから間もなくのこと
で、そのころには雨はもうすっかりあがっていた。