当事、そのアトリエには樋ひ口ぐち邦くに彦ひこという画家が、細君とふたりきりで住
んでいた。樋口邦彦というのは、その当時の年齢で、四十近かったそうだが、それに反し
て、細君の瞳ひとみというのは、まだ若い、しかし病身そうな女であった。
じっさい、瞳は肺をわずらっていたのだ。彼女はそれより一年ほどまえまで、銀座裏の
キャバレーで、ダンサーとして働いていたところを、樋口邦彦と相知って、同どう棲せい
することになったのだが、キャバレーにいるころから、ときどき喀かつ血けつしていたと
いう。
しかも、その病勢は樋口と同棲することによって、快方に向かうどころか、いっそう昂
こう進しんしていった形跡がある。げんに瞳がそのアトリエに住むようになって以来、定
期的に診察していた医者は、ふたりに別居するようにと、切せつにすすめたそうである。
彼らの異様な愛欲生活が、女の病勢をつのらせていることが、はっきりわかっていたから
だ。
しかし、瞳は笑ってとりあわず、樋口も彼女を手離さなかった。
変わり者の樋口は、近所づきあいというものをほとんどやらなかったが、それでもご用
聞きやなにかの口からもれて、彼の瞳にたいする熱愛ぶりは、近所でも知らぬものはな
かった。
それは瞳の病勢が、いよいよつのってきた八月ごろのことである。
旦那さんが病室へたらいを持ち込んで、まるで、赤ん坊に行水をつかわせるように、奥
さんのからだのすみずみまで洗っていただの、奥さんのおしもの世話は、いっさい旦那さ
んがおやりだの、それでいて、毎晩旦那さんは奥さんといっしょにおやすみだのというよ
うな、顔の赧あかくなりそうな噂うわさが、ご用聞きの口からもれて、聞くひとの眉まゆ
をひそめさせた。
そのうちに十月になると、だれももう瞳の姿を見なくなった。声も聞かなかった。
ご用聞きが訊たずねると、奥で寝ている、近ごろはだいぶん快いいほうだと、樋口はに
こにこしながら答えた。その様子にはべつに変わったところも見られなかった。
だが、そのうちに樋口は、ご用聞きたちをしめ出してしまった。表も裏もしめきって、
必要な品は自分で店まで買いにいった。
そういう樋口の様子に、ここにひとり、疑惑を抱くものが現れた。それは酒屋の小僧の
浩こう吉きちという少年で、町でも評判のいたずら小僧だった。
彼はある日、樋口が買物に出かけるのを待って、垣根のなかへ忍びこんだ。瞳の病室は
アトリエから廊下づたいでいける日本座敷であることを、浩吉はまえから知っている。
ところがその病室には雨戸がぴったり閉まっていた。いや、病室ならず、どこもかしこ
も、雨戸や鎧よろい扉どが閉まっていた。
浩吉の胸はいよいよ騒いだ。結核患者にとって、新鮮な空気が何よりも必要なことを浩
吉も知っていた。だから風のない日には、どんな寒い季節でも、瞳はガラス戸を開放して
寝ていた。それにもかかわらず昼日中から、雨戸をぴったり閉めきっているとは……?
そのことと、もうひとつ、浩吉の胸をはっと騒がせたものがあった。それはどこからと
もなく匂におうてくる、なんともいえぬいやな匂いだ。胸がむかむかするような、吐気を
もよおしそうないやな匂い……、しかも、どうやらそれは雨戸のなかから匂うてくるらし
いのである。
浩吉は思わず武者ぶるいをした。彼はいまや好奇心と功名心のとりこになっていたの
だ。ひょっとすると、自分が世にも異様な犯罪の発見者になるかもしれないという自覚
が、彼に武者ぶるいをさせてやまなかった。
浩吉はどこかなかへ忍びこむ隙すきはないかと、家のまわりを探して歩いた。そして、
アトリエの窓の鎧扉のひとつが、かなりいたんでいるのに眼をつけた。いたずら小僧の浩
吉には、それをこわして、そこから忍びこむくらいのことは朝飯前だ。
浩吉はこの家の間どりをよく知っている。アトリエから廊下づたいに、薄暗い病室のま
えまでくると、襖ふすまの向こうからまたしても、胸のむかむかするようないやな匂い
が、いまにも嘔おう吐とをもよおしそうなほど強く匂ってきた。
浩吉はぐっとひと息吸いこむと、それから思いきって襖をひらき、手さぐりに壁ぎわの
スイッチをひねった。
と、そのとたん、この季節にもかかわらず、おびただしい蠅はえがわんわんと飛び立
ち、お座敷用の低いベッドのなかに、世にも気味の悪い死体が横たわっているのを発見し
たのである。
浩吉のような子供にも、ひとめ見てそれが死体とわかったのは、それが死後、そうとう
の時日が経過して、かなり腐乱の度がすすんでいたからだ。あのまがまがしい臭気と、お
びただしい蠅は、その腐乱死体から発するものだった……。
この陰惨な事件は、当時大センセーションをまき起こした。
樋口邦彦はただちに逮捕され、死体は解剖に付された。しかし、他殺の痕こん跡せきは
なく、大喀かつ血けつによる死亡であることが確認された。
だから、ただそれだけならば、死亡届を怠り、死体をいつまでも手許においたという罪
だけですむのだろうが、世にもいまわしいことには、その死体に死後も愛あい撫ぶされて
いたらしい形跡が、歴然と残っていたことである。
それについて、樋口邦彦はこういったという。
「それは故人の遺志だったのです。瞳は息をひきとるまえに、わたしに向かってこういっ
たのです。わたしが死んでも火葬になどせず、いつまでもおそばにおいて愛しつづけてく
ださいと……」
樋口はもちろん精神鑑定をうけた。しかし、べつに異常をきたしているふうもなかっ
た。かれは起訴され、断罪された。いま刑務所にいるはずである。 分享到: