五
樋口邦彦のけだもののようなこの行為は、俄が然ぜん世間に大きなセンセーションをま
き起こした。
樋口はもう、生きた女では満足できず、死体、あるいは腐肉でないと、真に快楽を味わ
えないのではないか。もし、そうだとすれば、早晩、金田一耕助が恐れるように、凶暴な
殺人行為にでも発展していくのではないか……。
警察では、むろん、やっきとなって樋口のゆくえを追及したが、二日たち、三日とすぎ
ても、杳ようとして消息がつかめない。
全国に写真がバラまかれ、新聞にも毎日のように、いろんな写真が掲載されたが、いっ
こう効果はあがらなかった。いや、こんな場合の常として、投書や密告はぞくぞくときた
が、つきとめてみるといずれも人違いで、いたずらに警官たちを奔命に疲れさすばかり
だった。
「樋口があくまで執しつ拗ように、逃げのびようとするのもむりはない。そこには、あの
いまわしい死体に関する犯罪のみならず、警官殺しという大罪が付随しているのだ。つか
まったが最後ということを、かれもよくわきまえているにちがいない」
しかし、警察もただいたずらに、手をこまねいていたわけではない。
五日夜以後の樋口のゆくえはわからなかったが、刑務所を出てからのかれの行動はだい
たい調べがついていた。
小石川に住んでいる、樋口正まさ直なおという某会社の重役が、かれのいとこだった。
十月八日、刑務所内の善行によって、刑期を短縮されて出てきた樋口邦彦は、いったんそ
こに身をよせたが、三日ほどして本郷の旅館へひきうつっている。
それについて樋口正直氏の談によるとこうである。
「刑務所へ入るとき、財産いっさいの管理をまかされたものですから、それを受け取りに
きたんです。財産はS町にある地所はべつとしても、証券類で約五、六百万はあったで
しょう。それを資本に……それでも足りなければS町の地所を売ってでも、何か商売をし
たいといってました。アトリエは持っていても、画家として立っていく自信はなかったん
ですね。刑務所を出てから、すっかり人間が変わってましたね。以前からそう陽気なほう
ではなかったんですが、こんどは恐ろしく無口になって……やはりあの事件が影響したん
だねと、家内なんかと話したことです。ここを出たのはやはり面目なかったんでしょう。
きっと何も知らぬ他人のなかへ入りたかったんですね。こっちもしいて引きとめませんで
した。家にも年ごろの娘がありますんでね」
邦彦は本郷の宿も三日で出て、牛込の旅館へうつっている。ところがその牛込の旅館も
十日ばかりで出て、それからどこに泊まっていたのかはっきりしない。
おそらく前身が知れるのをおそれて、変名で宿から宿へとうつっていたのだろう。加奈
子にも、しょっちゅう変わるからといって、はっきり住所をいわなかったそうだ。
ところが、十月二十八日になって、新宿のM証券会社で、証券類をいっさい金にかえて
いる。そのたかは六百万円で、だから、かれはそれだけの金をふところに、どこかに潜伏
しているわけだ。
こうして警察必死の追及のうちに、五日とたち、十日とすぎたが、十一月二十日になっ
て、またもやおぞましい第二の犯行が暴露された。
ああ、金田一耕助の予想は的中したのだ。妖よう獣じゆうはいよいよ本領を発揮して、
そのゆがんだ欲望を遂行するために、ついに殺人をあえてしたのである。