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睡れる花嫁 六_人面瘡(人面疮)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334

 それよりさき、十一月十七日のことである。中野区野の方がた町にある柊ひいらぎ屋や

という小間物店へ、ひとりの男が訪ねてきた。

 この柊屋は自宅の奥に五間ほどの部屋をもっていて、それを貸間にしているのだが、そ

のひとつが最近あいたので、周旋屋へたのんで間借り人を探していたところが、そこから

間借りの希望者をよこしたわけである。

 その男は茶色のソフトに、鼈べつ甲こうぶちの眼鏡をかけ、感冒よけの大きなマスク、

それに外套の襟をふかぶかと立てているので、ほとんど顔はわからなかった。

 しかし、その日がちょうど空っ風の強い、とても寒い日だったので、柊屋の主人もべつ

に怪しみもせず、部屋を見せたところが、すぐに話がついて、若干の敷金のほかに、一か

月分の間代をおいていった。家族は妻とふたりきりで、今夜のうちに引っ越してくると

いっていた。

 名前は松浦三五郎、丸の内にある角かく丸まる商事につとめているといったが、そんな

会社があるのか、柊屋の主人は知らなかった。

 さて、その夜、松浦三五郎とその妻は、夜具をつんで自動車でやってきた。九時ごろの

ことだった。ところが柊屋の貸部屋は、間借り人専用の門と玄関がべつにあるので、柊屋

の主人は松浦三五郎のやってきたのを知らなかった。

 ただし、柊屋のおかみが間借り人のひとりの部屋から出てきたところへ、松浦三五郎が

玄関へ、夜具の包みを運びこんできたので、

「ああ、いまお着きですか」

 と、挨あい拶さつすると、

「はあ、今夜は夜具だけ。ほかの道具はいずれ明日……」

「奥さまは……?」

「自動車のなかにいます。ちょっと体をこわしているので……」

 松浦は昼間と同じように、大きなマスクをかけているので、言葉はもぐもぐ聞きとれな

かった。

 柊屋のおかみはちょっと細君というのを見たいと思ったが、それもあんまり野次馬らし

いと思ったので、

「それじゃ、お大事に……」

 と、挨拶を残して母屋のほうへ立ち去った。松浦は夜具を部屋へ運びこむと、表へ出て

きて、

「それじゃ、運転手君、手伝ってくれたまえ。家内は病気で、歩かせちゃ悪いから」

「承知しました」

 と、運転手は松浦に手伝って、若い女をかつぎ出すと、

「奥さん、大丈夫ですか。じゃ、お客さん、どうぞ」

 と、左右から細君を抱えるようにして、玄関からなかへ入っていった。そして、自分の

部屋へ入ろうとするところへ、隣の部屋から間借り人の細君が顔を出して、

「あら、どうかなすったんですか」

 と、びっくりしたように訊ねた。

「いえ、ちょっと脚に怪我をしているものですから」

 と、松浦は運転手にいったのとはべつのことをいって、そのまま自分の部屋へ入って

いった。隣の部屋の細君も、べつに怪しみもせず、そのまま障子を閉めてしまった。

 それが十七日の晩の出来事だが、それきりだれも松浦ならびにその細君を見たものはな

かった。しかし、柊屋のほうではさきに間代をとっているのだし、間借り人には万事自由

にやらせているので、べつに気にもとめなかった。また同居人は同居人で、柊屋との契約

がどうなっているのか知らないので、これまたたいして気にもとめなかった。

 ところが二十日の朝になって、隣室の細君が何やら異様な臭気を感じた。その細君は

ちょうどつわりだったので、臭気に関して敏感になっていたのである。彼女は料理をして

いても、昼飯の食卓に向かっても、異様な臭気が鼻について離れず、食事も咽喉に通らぬ

どころか、食べものさえ吐きそうだった。その臭気の源はたしかに隣室、すなわち松浦の

部屋にあるらしかった。

 夕方ごろ、たまらなくなった細君は、母屋へいって柊屋のおかみにそのことを訴えた。

そこへほかの間借り人も同じようなことを訴えてきたので、柊屋のおかみも捨ててはおけ

ず、裏の貸部屋へいってみた。

「松浦さん、松浦さん、奥さんもお留守でございますか」

 柊屋のおかみが声をかけるのを聞いて、

「あら、それじゃ、この部屋のかた、ここにいらっしゃるはずなんですか」

 と、隣室の細君が訊ねた。

「もちろん、そうですよ。どうして?」

「だって、きのうもおとといも、全然、ひとの気配がしないので、あたしまた、ひと晩だ

けのお客かと思って……」

 隣室の細君はそういって、ちょっと顔を赧あからめた。十七日の夜、真夜中すぎまでこ

の部屋から聞こえてきた、むつごとの気配に悩まされたことを思い出したからである。

「いいえ、そんなはずはありませんよ。ひと月分いただいてるんですからね。松浦さん、

松浦さん、開けますよ。よござんすか」

 障子を開けると異様な空気は、いっせいに三人の鼻を強くついた。貸部屋はいずれもふ

た間つづきになっているのだが、表の間には何事もなく、臭気は閉めきった襖ふすまの向

こうの、奥の間から匂におうてくるらしかった。

 三人とも不安な予感に真っ蒼になっていた。隣室の若い細君は膝ひざ頭がしらをがくが

くふるわせた。彼女の脳裡をふっとS町のアトリエ事件がかすめたからである。

「おかみさん、おかみさん、お止よしなさい、お止しなさい、その襖開くの……あたし、

怖い……」

 おかみはしかし、きつい顔をして、襖のひきてに手をかけると、

「松浦さん、松浦さん、ここ開けますよ。よござんすか」

 と、うわずった声で念を押すと、思いきって襖を開けたが、そのとたん、いまにも吐き

出しそうなほど、強い匂いが三人の鼻をおそうた。

 この部屋には雨戸がなく、張出し窓に格こう子しと、ガラス戸が閉まっているだけなの

で、部屋のなかはまだ明かるい。その部屋の中央に蒲ふ団とんが敷いてあって、そこに女

が仰向きに寝ている。そして、その女の周囲から、あの異様な臭気は発するのだ。

 隣室の細君はもうべったりと敷居のうえに腰を落としており、彼女よりすこし勇気のあ

るおかみと、もうひとりの同居人は、それでも蒲団のそばまでいって、女の顔をのぞきこ

んだが、ふたりとも、

「きゃっ!」

 と、叫んで尻しり餅もちついた。その女は明らかに死んでおり、しかも、そろそろ顔の

かたちがくずれかけていた。

 おかみさんも同居人も知らなかったけれど、それはブルー・テープの通い女給、由美子

だった。

 由美子は青酸カリで殺されたのち、あさましい妖獣の手にかかって、第二の睡れる花嫁

にされたのだった。


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11/28 13:43