七
二十日の夜おそく、中野署へよび出されたブルー・テープのマダム水木加奈子は、そこ
にいる等々力警部と金田一耕助の顔を見ると、ふいに胸をつかれたように、よろよろ二、
三歩よろめいた。
ふだんからゼスチュアの大きなマダムなので、それがほんとの驚きなのか、それともお
芝居たっぷりなのか、さすがの金田一耕助にも判断がつきかねた。
「また、何か、あったんですか」
と、その声は低くしゃがれてふるえている。大きな眼が吸いつくように等々力警部の眼
を見つめている。
「ああ、それをいうまえに、マダムにちょっと訊きたいんだが、おたくの女給の由美子だ
がね、いつからお店を休んでいるんだね」
「ゆ、由美ちゃん……?」
マダムは低く絶叫するようにいって、右手の指を口に押し当てた。
「由美ちゃんが、ど、どうかしたんですか」
「いや、それよりもぼくの質問にこたえてくれたまえ」
「由美子は十五日の昼すぎ電話をかけてきて……いいえ、由美子自身じゃないんです。代
理のもんだといって、男の声だったそうですけれど……」
「そうですけれどといって、マダム自身電話に出たんじゃないの?」
「いいえ、うちのしげるが出たんです」
「ああ、そう、それで……」
「由美子は四、五日旅行するから、お店を休むと、ただそれだけいって、電話を切ってし
まったそうです。それで、しげるとふたりでぷんぷん憤おこってたんです。朝子が死ん
で、そうでなくても手の足りないところへ、いかにお客さんがついたからって、四、五日
も勝手に休むなんて……それで……」
「ああ、ちょっと」
と、金田一耕助が言葉をはさんで、
「そうして、客と旅行するようなことは、ちょくちょくあるんですか」
「はあ、それは……」
と、マダムはちょっと耕助を流し目に見て、
「ああいう稼業でございますから、ちょくちょく……でも、たいていひと晩どまりで熱海
かなんかへ……」
「ああ、なるほど、それでマダムは四、五日という長期にわたって、由美子君が旅行する
ということを、怪しいとは思いませんでしたか」
「いいえ、べつに……ただ、身勝手なのが腹が立ったのと、いったいどんな客か知らない
けれど、あんなもっさりした娘を、四、五日もつれ出すなんて……と、しげると話して
笑ったくらいのもんですけれど……」
「ところで、きょうはしげるちやんは……?」
しげるの名を聞くと、突然、マダムの顔色が変わった。
「ねえ、警部さん、ほんとに由美子はどうしたんです。じつは、けさからしげるが帰らな
いんで、心配していたところへ呼び出しですから、ひょっとするとしげるに何かと……」
「し、しげる君がけさから帰らないって?」
金田一耕助と等々力警部が、ほとんど同時に叫んで身を乗り出した。ある不安な予感
が、さっとふたりの脳のう裡りをかすめた。
「ええ、そうなんです。ですから、警部さん、由美子はいったい……?」
「殺されたよ。いま解剖にまわっているから、その結果を見なければはっきりわからない
が、だいたい青酸カリに間違いないようだ」
「そして、やっぱり……?」
マダムの唇は真っ蒼である。
「ああ、やっぱり朝子の死体とおなじように……」
加奈子は低くうめいて、目をつむると、めまいを感じたように、少し上体をふらふらさ
せたが、急に大きく眼をみはり、
「警部さん、警部さん、しげるを探してください。しげるも、もしや……」
しげるはその朝、渋谷駅近くにあるS銀行へ十万円引き出しにいった。金はたしかに十
万円引き出しており、銀行でも支那服を着たしげるの姿を覚えているのだが、それきり姿
が消えてしまったのである。
支那服を着た女の死体が、三鷹の、マンホールから発見されたのは、それから一か月あ
まりもたった十二月二十五日のことで、むろん、死体は相好の鑑別もつかぬほど腐敗して
いた。しかし、着衣持物からブルー・テープの養女しげると判断され、殺害されたのは十
一月二十日前後と推定された。
こうして妖獣、樋口邦彦はついに第三の犠牲者をほふったわけだが、ただ、ここに不思
議なのは、しげるの顔は腐敗するまえから、相好の鑑別もつかぬほど、石かなにかでめ
ちゃめちゃに、打ち砕かれていたのではないかという疑いが濃厚なことである。
樋口はなぜそんなことをしたのか、また、その後、どこへ消えたのか、年が改まって一
月になっても、かれの消息は杳としてわからなかった。