「そのとき、奥さん、どこかへ出かけるというようなこといってなかった?」
「いいえ、べつに……」
「きみに駆け落ちをせまるというようなことは……?」
「はあ、せんにはさかんにせまられたんです。しかし、ちかごろではもうあきらめたら
しゅうて、あの晩も、これできれいに別れてあげるちゅうてくれたんです。でも、あとか
ら思うとそのときの奥さんの口ぶりに、なんだかとても底意地の悪いひびきがあったよう
な気がするんです」
浩一郎はかすかに身ぶるいをすると、わしづかみにした手ぬぐいで、ごしごし額をこ
すっている。
「さて、九時五十五分ごろ水車小屋へかえってくると……?」
と、切りだしたものの磯川警部も、さて、そのあとどう質問をつづけてよいかわからな
いので、助け舟をもとめるように、金田一耕助をふりかえる。
金田一耕助はうなずいてすこし膝を乗りだした。
「浩一郎君、そのときはきみもさぞびっくりしたことだろうねえ。由紀子さんの死体がこ
ろがっていたんだから」
「な、な、なんですって!」
磯川警部をはじめとして、そこにいあわせた刑事たちはみないっせいに、金田一耕助の
顔を見なおした。
「き、金田一さん、そ、それじゃ由紀子を殺したのは、この浩一郎君では……?」
「いや、いや、それはそうではないようですね。しかし、その間の事情は浩一郎君みずか
らの口から、聞かせてもらおうじゃありませんか」
浩一郎は無言のまま、ふかく頭をたれていたが、やがて涙のひかる眼をあげると、
「先生、ありがとうございます。それを知っていてくだされば、ぼくも助かります。ぼ
く、とてもこれからお話するようなことは、信用していただけまいと思うとりましたんで
すが……」
と、浩一郎は手ぬぐいで眼をこすると、いくらか安心したような色をうかべて、
「はじめのうち、ぼくも気がつかなかったんです。なにしろ、一時間以上も小屋をあけと
りましたもんですから、夢中になって米を搗ついておりました。ところが、そのうちに
ひょいと見ると、カーテンの下から足袋をはいた足がのぞいとるじゃありませんか。ぼ
く、びっくりしてカーテンのなかをのぞくとそれが由紀ちゃんなんです。ぼく、そのとき
はまだ殺されてるとは気がつかなんだんです。でも、由紀ちゃんが小屋にいるなんて、ゆ
めにも思わなんだもんですから、それだけでももうびっくりしてしもうて、あわててゆり
起こそうとして、ひょいと顔を見ると……」
「ちょっと待ってください」
と、金田一耕助がさえぎって、
「カーテンがしめてあっても、あそこ明るいんですか」
「はあ、それはいくらか。……なにしろ、ああいう丸太組みですから、丸太のすきから月
の光がさしこむんです。それに、ちょうど由紀ちゃんの顔のところに、光があたっており
ましたもんですから。……あとにもさきにも、ぼくあんなにびっくりしたことはありませ
ん。なにしろ、片眼がくりぬかれておるもんですから。……それで、ぼく、はじめて由紀
ちゃんが死んでいる。殺されているちゅうことに気がつきましたのです」
「暴行をうけたような形跡はありませんでしたか」
それは残酷な質問である。しかし、金田一耕助のような職業に従事していれば、ときと
場合で、こういう残酷な質問も、あえてしなければならないのである。
浩一郎の頰ほおから血の気がひいた。
「はあ、あの裾すそがまくれあがって……ぼくがあんなことをしたというのも、ひとつに
は、そういうあさましい姿を、だれにも見せたくなかったけん。……」
浩一郎はそこでギラギラと熱っぽくかがやく眼を、金田一耕助のほうへむけると、
「先生、そのときのぼくの驚きを御想像ください。ぼくもはじめはもちろんこのことを、
ひとに知らせるつもりだったんです。いいえ、事実ぼくは小屋をとびだして、舟に乗って
部落のほうへ行きかけたんです。ところが、途中ではっと気がついて立ちどまりました。
これは自分に疑いがかかってくるかもしれんちゅうことに気がついたからです。その疑い
を晴らすためには、小屋をあけたちゅうことをいわねばなりません。それも五分や十分の
ことならともかく、一時間以上も留守にしたちゅうことになると、どこでなにをしていた
かいうことを申し立てねばなりません。そうなると、村長の奥さんとのことが暴ばれてし
まいます。いけない、いけない!……ぼくは舟を漕こぐ手をやめました。まったく、ぼ
く、途方にくれてしもうたんです。気が狂いそうだったんです。いいえ、いいえ、あのと
きたしかに気が狂うとったにちがいありません。それでなければ、あんな恐ろしいことが
できるはずがありませんけん」
浩一郎はいまさらのようにはげしく身ぶるいをする。