十
手錠をはめたまま警部のまえにひきすえられた九十郎は、あいかわらず無表情な顔色で
ある。
あのような忌まわしい、けがらわしい罪ざい業ごうも、この男の良心にはなんの呵か責
しやくもあたえぬらしい。狐きつねのおちた狐憑つきのように、きょとんとしたひげ面
を、金田一耕助は興味ふかげに見まもっていたが、急に体を乗りだすと、そのひげ面の鼻
さきへ顔をつきつけて、にやにやしながら、妙なことをしゃべりはじめた。
「九十郎君、九十郎君、人間の知恵って結局おなじようなもんだね。きみがさんざん頭を
しぼったあげく、ここがいちばん安全だと思ったかくし場所は、ぼくにもやっぱりそう思
えたからね。あっはっは」
そのとたん、いままで生気をうしなって、どろんと濁っていた九十郎の瞳ひとみに、一
瞬、さっとつよい感情の光がほとばしった。
金田一耕助はそれを見ると、あざわらうようににやりと笑う。
九十郎ははっと気がついたように、あわててもとの虚脱した、敗戦ボケの表情にもどっ
たが、そこにいあわせたひとびとは、だれもその一瞬の動揺を見のがさなかった。
磯川警部の瞳には、驚きの色と同時に、にわかに疑いの色が濃くなってくる。
「あっはっは、九十郎君、あんたぼくのいった意味がわかったとみえるね。あんたは利口
なひとだ。狡こう猾かつなひとだよ、あんたは。……それにあんたの立場もよかったんだ
ね。渦か中ちゆうにいるとかえって物事よく見えないものだが、あんたのように孤立して
ると、岡おか目め八はち目もくというやつで、かえって村のかくしごとなどよくわかるん
だね。あんたは村長の奥さんと浩一郎の情事を、だいぶまえから知ってたね」
金田一耕助は注意ぶかく九十郎の顔を見つめている。九十郎の敗戦ボケの表情には、も
うなんの変化もあらわれなかったが、この取調室のなかにはさっと緊張の気がみなぎる。
磯川警部は息をころして、金田一耕助と九十郎の顔を見くらべている。
「それのみならず、利口で、狡猾で、注意ぶかい観察者であるあんたは、村長の奥さんの
性質などもよくのみこんでいた。浩一郎と由紀子の婚約が発表されると、ただではすまな
いだろうと考えていた。そこへあの日、村長の奥さんから、由紀子にあてた浩一郎名前の
手紙をことづかったから、すぐにさてはと万事をさとったんだ。敗戦ボケをよそおって、
村のあらゆる秘密をかぎだそうとしているあんたは、あるいは村長の奥さんと康雄の密談
を立ちぎきしていたのかもしれない。とにかく、その手紙が浩一郎の筆跡でないことをさ
とると、ひそかに封をひらいて中身を読んだ。それで村長夫人と康雄の計画がすっかりわ
かると、好機いたれりとばかり、きみはそれをきみ自身の、世にも惨悪な計画にふりかえ
たのだ」
一同の瞳にうかぶ緊張の色が、いよいよふかくなってくる。刑事はつと立って九十郎の
背後にまわった。
「さて、あんたはなに食わぬ顔をして、浩一郎からたのまれたといってその手紙を由紀子
にわたした。そして、その晩、隣村へ行き、接待場で康雄ののむ酒にねむり薬をまぜる。
それから康雄のあとをつけていって、山中で康雄の眠りこけるのを待って、これを林のな
かへかつぎこんだ。あとからくるであろう由紀子に見られたら困るからだね。そうしてお
いて水車小屋へ来てみると、浩一郎は村長夫人に呼び出されていない。そこできみはなか
へしのびこみ、カーテンの奥にかくれて待っていると、間もなく由紀子がやってきた。
……」
九十郎は依然として虚脱したような表情をつづけている。しかし、その装いもいまはむ
だだった。額に吹きだす玉のような汗が、かれの外見を裏切っているのだ。
磯川警部は驚倒するような眼の色で、金田一耕助と九十郎の顔を見くらべている。
「きみはひと思いにあわれな由紀子を絞め殺した。それから、それから……」
さすがに金田一耕助もそのあとはいいよどんだ。あまりにもいまわしい言葉だったから
である。
「ところが、そのとききみは、世にも意外なことに気がついた。丸太のすきからさしこむ
月の光が、仰向けに死んでいる由紀子さんの顔を照らしたが、その光のなかで、由紀子さ
んの左の眼が、異様なかがやきをおびているのに気がついて、きみははじめてそれを義眼
だとさとった。そこで大いに好奇心をもよおしたか、それともいままでだまされていた腹
立ちまぎれか、きみはその義眼を抜きとったんだ」
清水巡査はまるで自分自身が告発されてでもいるように、これまたびっしょり汗をかき
ながら、用心ぶかく九十郎の背後に立つ。