十一
「金田一さん、ありがとう、ありがとう」
北神九十郎のくわしい自供(それは金田一耕助の組み立てた推理と全然おなじだった
が)があって、すっかり肩の重荷をおろした磯川警部は、その晩、金田一耕助をまじえ
て、部下とともにささやかな慰労の宴をはったが、ほんのりと酒気をおびた磯川警部は、
幸福そのもののようであった。
「あんたのおかげでこんなにはやく片づいて……わしゃまさか九十郎がやったとは、ゆめ
にも思わなんだからなあ」
「いやあ、実際奸かん知ちにたけたやつですな。金田一先生もおっしゃったが、わたしも
いままであんな狡こう猾かつな犯人にお眼にかかったことがない」
木村刑事もビールの満まんをひきながら、慨嘆するように肩をゆすった。
金田一耕助はてれながら、
「それはねえ、あいつの立場がよかったんです。あいつはいわゆるインヴィジブル・マ
ン、すなわち見えざる男だったんですね。敗戦ボケの九十郎は、どこでなにをしようと、
だれも気にするものはなかった。あいつは牛馬同様に、いや、牛馬以上に完全に、村の連
中から無視されていた。そういう立場を利用して、村長夫人と浩一郎の秘事を知ったんで
すが、またその立場を利用してああいう巧妙な犯行をやってのけたんですね。これが村の
ほかの連中なら、たれそれは何時ごろから何時ごろまで隣村にいたが、何時ごろから何時
ごろまではいなかったと、調べてみればすぐわかる。康雄のばあいがそうですね。だけ
ど、九十郎のばあいだと、おそらくその調査はやっかいですよ。だれだってあの男の存在
に関心をはらうものはありませんからね。そういう有利な立場を極端に利用した犯罪です
ね」
「なるほど、インヴィジブル・マンというのはいい言葉ですな。ああいう罪であげられて
いながら、あいつの存在は完全に、われわれの焦点からはずれていたからな」
金田一耕助はため息をつくと、
「ねえ、警部さん、あなたは一昨日こういうことをおっしゃったでしょう。こういうもの
しずかな農村のほうが、われわれの住んでいる都会よりも、ある種の犯罪の危険性をはる
かに多分に内蔵していると。……実際、そのとおりなんです。しかし、それはあくまで内
蔵しているだけであって、ある種の刺激がなければ、こんどのような陰惨な事件となって
爆発しなかったろうと思うんです。では、その刺激とはなにか……やはり都会人の狡こう
知ちですね。こんどの事件の下絵をかいたのは疎開者である村長夫人、そして、それをお
のれの奸悪な計画に利用したインヴィジブル・マンは引揚者、きっすいの農村人である浩
一郎や康雄はただ踊らされただけですからね。だからぼくのいいたいのは、農村へ都会の
かすがいりこんでいる、現在の状態がいちばん不安定で危険なんですね」
「なるほど、なるほど、いわれてみればそのとおりだな」
磯川警部はふとい猪い首くびをふりながら、しきりに感服の体だったが、急に思い出し
たように、
「それはそうと、金田一さん、話はちがうがあの義眼ですな。あれはどこにかくしてあっ
たんですか。あんたのはしっこいのには驚いたが……」
そのとたん、金田一耕助の顔はそれこそ火がついたように真っ赤になった。
「いやだなあ、警部さん、そんな皮肉をおっしゃると、ぼく穴があったら入りたいです
よ」
「皮肉……?」
磯川警部はじめ一同は、びっくりしたように耕助の顔を見なおす。金田一耕助はいよい
よ照れて、がぶりとビールをひと口のむと、
「もちろん、あんなこと卑ひ怯きようなことです。少なくともフェヤーじゃない。しか
し、ぼくとしてはああするよりほかに手段がなかったんです。いかに牛小屋みたいにせま
い小屋でも、義眼のような小さいものを探すとなるとたいへんですからな。ですから、き
のう赤土穴のあの状態から、てっきり犯人は九十郎とにらむと、けさ、岡山の医大へ行っ
て手ごろの義眼を借りてきたんです。ただ、ぼくの心配だったのは、九十郎のやつが義眼
をすでに始末してやあしないかということでした。たたきつぶすとか、湖水へ沈めるとか
ねえ、そこでのっけにカマをかけて反応をためしてみたところが、まだ、どこかにかくし
てあるらしい。そこで、とうとうああいうインチキをやったんですが……警部さん、ぼく
のやりかたがフェヤーでなかったことについてはあやまります。だが、それはそれとして
おいて、至急、九十郎の小屋を捜索してください。どこかに義眼がかくしてあるはずです
から」
磯川警部はじめ一同は、啞あ然ぜんとしてあいた口がふさがらなかった。