八
「耕さん、何か収穫があったかね」
ランチに乗ったときの銀造の顔色はいかにも不愉快そうである。
「いやあ、べつに……ただ、なんとなくあのひとたちに会ってみたかったんです。しか
し、おじさん、なかなか興味ある一家じゃあありませんか。四人が四人ともね」
「どうもわしにはあの細君が気にくわん。あの女、ひと筋縄でいくやつじゃないぜ」
「あっはっは、おじさん、みごとお面いっぽんとられましたね」
口では笑っているものの、金田一耕助はなにかしらもの思わしげな眼で、ぼんやりと窓
外を見ていたが、何気なくその視線を腰掛のうえに落としたとき、急に大きく眼をみはっ
た。腰掛けと板壁とのあいだのすきに、何やらきらきら光るものがはさまっている。
「おじさん、おじさん、ナイフかなにかお持ちじゃありませんか」
「耕さん、何かあったかね」
銀造にかりたナイフで、その光るものを掘りだしてみると、なんとそれはダイヤをちり
ばめた豪華な腕輪ではないか。しかも中央についているロケットのようなものを開いてみ
ると、安産のお守りが入っている。
「あっ、こ、耕さん、こりゃあひょっとすると静さんの……」
「そ、そ、そうでしょうねえ、きっと。……君、君、春雄君」
「はあ、お客様、なんですか」
「この腕輪、ひょっとしたら奥さんのもんじゃあない」
運転台でハンドルを握っていた佐川少年は、腕輪を見るとおどろいて、
「さあ、ぼく、こんな腕輪見たことありませんが、ここいらでこんなもん持ってるのは、
うちの奥さんよりほかにいないでしょう。お客さん、これ、ランチのなかに落ちていたん
ですか」
「ああ、いまここで見つけたんだが、奥さんがいちばんさいごにランチに乗られたのはい
つのこと……」
「もうずいぶんまえのことです。お腹が大きくなられてから、乗り物に乗るのをできるだ
けひかえていらっしゃるんです。はっきりおぼえておりませんが、もうひと月もまえのこ
とではないでしょうか」
金田一耕助は思わず銀造老人と顔見合わせた。
「それで、奥さん、腕輪をなくしたというようなこと、おっしゃってはいなかった?」
「いいえ。……変ですねえ、ひと月もまえからランチのなかに落ちていたとしたら、たと
えどこにあったとしても、ぼく、気がつかねばならんはずですが。……毎日ランチのなか
を掃除するんですから。……お客さん、どこに落ちていたんですか」
「この腰掛けと板壁のあいだの、すきまにはさまっていたんだが……」
「それならばなおのこと。……その腰掛けは蓋のように開くんですよ。ぼくは毎日、それ
をひらいてそのなかも掃除するんです」
「ああ、そう、おじさん、ちょ、ちょっと立ってみてください」
金田一耕助の眼があやしくぎらぎら光るのを見ると、銀造は思わず唾つばをのみ、あわ
てて腰掛けから立ちあがった。
耕助が腰掛けの上部に手をかけてひきあげると、なるほど蓋のように開いて、なかは箱
になっている。しかも、その箱のなかはごくさいきん誰かが洗ったらしく、まだ少しぬれ
ている。
「君、君、春雄君、きょうこの箱のなかを洗ったの君かい?」
「いいえ。けさはランチのなか、きれいに掃除ができていたので、ぼくはなんにもしな
かったんです」
「掃除ができてたって、誰がしたの。君のほかに誰かランチの掃除係りがいるの」
「いいえ。ランチの係りはぼくだけなんです。だから、きっと徹さんだろうと思ってお礼
をいったら、旦那がゆうべへどをお吐きになったから、掃除をしておいたといってまし
た」
金田一耕助と久保銀造はまた顔を見合わせる。志賀泰三はずいぶん泥酔していたけれ
ど、そんな粗相はしなかったはずである。
金田一耕助は五本の指をもじゃもじゃ頭につっこんで、眼じろぎもせずに箱のなかを視
つめていたが、やがてもじゃもじゃ頭をかきまわす、指の運動がだんだん忙がしくなって
くるのを見て、
「こ、こ、耕さん」
と、銀造老人も興奮してどもる。
「こ、こ、この箱がどうかしたのかな」
「おじさん、おじさん」
と、耕助は老人の耳に口をよせ、
「この箱のなか、人間ひとり押しこもうとすれば、入らないことありませんね」
「な、な、なんだって!」
耕助は蓋をしめようとして、蓋のうらがわから、ながい毛髪をつまみあげた。
「おじさん、あなたが証人ですよ。この髪の毛は蓋のうらにくっついていたんですよ」
耕助はその毛髪をていねいに紙にくるむと、
「おじさん、もうかけてもいいですよ」
と、みずから腰掛けに腰をおろし、しばらく眼をつむって考えていたが、やがてぎくっ
としたように、
「君、君、春雄君」
と、運転台の少年に声をかけた。
「はあ、お客さん、なんですか」
「お秋さんに聞いたんだけど、今朝見ると自転車がこわれてたんだってね」
「ええ、そうです、そうです。それですからお客さん、ゆうべ泥棒がはいったんですよ、
きっと」
「こわれたって、どんなふうにこわれてたの」
「ペダルがひとつなくなっているうえに、ハンドルがまがってしまって、まえの車輪がう
ごかなくなってるんです。きのうの夕方までそんなことなかったんですから、ゆうべきた
泥棒が、自転車で逃げようとして、どこかで転んだんじゃありませんか」
「自転車はどこにあったの?」
「自転車置き場にあったんです」
「自転車置き場はどこにあるの」
「裏木戸のすぐあちらがわです」
「裏木戸は開いてたの」
「さあ、それは……ぼく、聞きませんでした」
金田一耕助はまた眼をつむって、ふかい思索のなかへ落ちていく。