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蜃気楼島の情熱 十_人面瘡(人面疮)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334
 樋上四郎は久保銀造や志賀泰三よりわかいはずなのだが、たてよこいちめんにふかい皺
しわのきざまれたその顔や、いつも背をかがめて真正面からひとの顔を見れないその態度
から、じっさいの年齢よりも少なくとも十は老けてみえる。
 まるでちりめんのように顔じゅうにきざまれたその皺のひとつひとつに、この男の不幸
な人生の影がきざみこまれていて、老いてもなおつやつやと色艶のよい久保銀造などにく
らべるとき、わかいころの過ちが、いかに人間の一生を左右することかと惻そく隠いんの
情をもよおさせる。
 樋上四郎は中腰になって上眼づかいに三人に挨拶すると、無言のまま膝ひざ小こ僧ぞう
をそろえて坐すわると背をまるくする。すくめた頸くび筋すじのあたりがみごとな渋紙色
にやけていて、短く刈った白髪が銀色に光っている。
 金田一耕助はにこにこしながら、
「樋上さん、また同じようなことが起こりましたね。二度あることは三度あるというが」
 樋上はちらと上眼使いに耕助の顔を見ると、おびえたように首をすくめて、
「しかし……しかし……こんどはわたしじゃない。わたしはなにもしなかった……」
 と喘あえぐようにいって咽の喉ど仏ぼとけをぐりぐりさせる。
「しかし、樋上さん、あんたはひょっとすると、ゆうべ奥さんの部屋へ入っていったん
じゃありませんか」
 樋上ははじかれたように顔をあげ、瞳に恐怖の色をたたえて、何かいおうとするよう
に、顎をがくがくさせていたが、すぐぐったりとうなだれた。
「金田一さん、この男がゆうべ奥さんの部屋へ……?」
 磯川警部はぎくっとした面持ちである。
「はあ、ぼく、そうじゃないかと思っていたんです。樋上さん、正直にいってください。
あなた、奥さんの部屋へいったんですね」
「はあ」
 と、短くこたえて樋上四郎は右腕の袖で眼をこする。
「しかし、いったい、なんのために、奥さんの部屋へ入っていかれたんですか」
「はあ、あの、しかし……」
 と、樋上は追いつめられた獣のような眼をして、三人の顔をギロギロ見ながら、
「わたしがまいりましたときには、奥さんは、しかし、あの部屋にゃいなかったんです。
わたしゃご不浄へでもいかれたんだろうと思うて、半時間あまり待っておりましたんです
が、奥さんはとうとうかえってこられなかった。そのうちに、呼鈴にさわったとみえて、
お秋さんが用事を聞きにきたりしたんで、わたしもとうとうあきらめてじぶんの部屋へか
えりましたんです。あの、これは決していつわりでは……」
 磯川警部が色をなしてなにかいおうとするのを、金田一耕助はかるく手でおさえると、
おだやかな微笑を樋上にむけて、
「ねえ樋上さん、わたしはあんたが奥さんを殺したといってるんじゃないんですよ。奥さ
んが外出してたってことはわたしもしってる。わたしのききたいのは、なんのためにあん
たが奥さんの部屋へ入っていったかということなんだが……」
「はあ、あの、それは……」
 と樋上はまた咽喉仏をぐりぐりさせながら、
「ずっと昔、わたし志賀さんの奥さんを殺したことがあるもんですから……」
 磯川警部はまたギョッとしたように樋上の顔を見なおしている。金田一耕肋はそれにつ
いて、一応説明の労をとらねばならなかった。
「いや、警部さん、それはいいんです。いいんです。そのことはもうすんでるんです。こ
のひとは自首してでて、むこうで刑期をすましてきてるんですから。……樋上さん、それ
で……?」
「はあ、あの、そのことを志賀さんは黙っておれ、内緒にしとけとおっしゃるんですが、
わたしゃ、それではなんだか心配で、心配で……」
「心配というのは……?」
「はあ、さっきあなたが二度あることは三度あるとおっしゃったように、わたしまた、あ
の奥さんの咽喉をしめるようなはめになりゃあせんかと。……そんな気がしてならないん
です。奥さんに親切にしていただけばいただくほど、なんだか怖くなって……それで奥さ
んにわたしのことをよくしっていただいて、おたがいに用心したほうがよくはないかと、
そんなことを考えたんです。そこで、ゆうべ志賀さんの留守をさいわいに、お話にあがり
ましたんです。わたし、あんないい奥さんを殺そうなどとは夢にも思いませんが、それで
いながら、夢に奥さんの咽喉をしめるところを見たりして……」
 樋上四郎はまた右腕で眼をこする。
 人生のいちばんだいじな出発点で足をふみはずしたこの男は、たえずそのことが強迫観
念となり、いくらかでも幸福な世界に足をふみいれると、またおなじような過ちをくりか
えし、他人を不幸におとしいれると同時に、じぶんもふたたび不幸になるのではなかろう
かと、怖れつづけてきたのにちがいない。
 金田一耕助はまたあらためて惻隠の情をもよおし、この人生の廃残者をいたましげに視
まもっていたが、そこへお秋が入ってきた。
「あの……奥様の黒のスーツが一着と、お靴が一足見当たらないようでございますけれ
ど……」

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