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蝙蝠と蛞蝓 五(1)_人面瘡(人面疮)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3334

 それからのち数日間のことは、どうもよくおれの記憶に残っていない。警察へ引っぱら

れたおれは、五体の筋肉のみならず、精神状態までサボタージュしていたらしい。元来お

れは小心者なのだ。警察だのお巡りだのと聞くと、この年になっても、五体がしびれて恐

慌状態におちいるという習慣がある。だから、はじめのうちはいっさい無我夢中だった。

うまく答えようと思っても、舌が意志に反してうまく回らなかった。そして、そのことが

いよいよ警察官の心証を悪くすることがわかると、ますますもっておれは畏い縮しゆくす

るばかりだった。

 ところが──ところがである。四、五日たつと、警部の風向きが変わってきだ。大変優し

くなってきたのである。そして、こんなことを訊くのである。あなたは──と、にわかにて

いねいな言葉になって、お繁の家にあるような金魚鉢を、どこかほかでさわってみたこと

はないか。ああいう金魚鉢を、お宅の近所のヤミ市でたくさん売っているが、いつかそれ

にさわってみたことはないか、これは大事なことだから、ようく考えて、思い出してくだ

さい、とそんなことをいうのだ。しかし、考えてみるまでもない。おれは何年も金魚鉢な

どさわったことがなかった。そこで、そのとおりいうと、警部はふうんと溜息をもらし

た。そして憐あわれむようにおれの顔を見ながら、あなたはきっと、度忘れをしているに

ちがいない、きっと、どこかでさわったにちがいない、今夜、ようく考えて思い出してご

らんなさいといった。どうもその口ぶりから察すると、それを思い出しさえすれば助かる

らしい気がしたが、憶えのないことを思い出すわけにはまいらん。

 ところがその翌日のことである。いつものように取調室へ引っぱり出されたおれは、突

然はっと、なにもかも一時に氷解したような気がした。と、いままでストライキしていた

舌が、急におれの命令に服従するようになった。おれは大声でこう怒鳴った。

「そいつだ、そいつだ。その蝙蝠だ。そいつがやったことなのだ。そしておれに罪をかぶ

せやアがったのだ」

 おれは怒り心頭に発した。地じ団だん駄だふんで叫んだ、怒鳴った、そして果てはおい

おい泣きだした。あのときなぜ泣いたのかしらんが、とにかくおれは泣いたのだ。すると

警部はまあまあというようにおれを制しながら、

「まあ、そう昂奮しないで。ここにいる金田一耕助氏は、君の考えているような人物じゃ

ありませんよ。このひとはね、きょうはあなたにとって、非常に有利なことを報しらせに

きてくださったのですよ」

「噓うそだ!」

 と、おれは叫んだ。

「噓だ、噓だ、そんなことをいって、そいつらはおれをペテンにかけようというのだ」

「噓なら噓で結構ですがね、とにかく私のいうことを聞いてください」

 金田一耕助のやつ、長いもじゃもじゃ頭をかきまわしながら、にこにこ笑った。案外人

なつっこい笑い顔だ。それからこんなことをいった。

「このあいだ、そう、あの事件のまえの晩のことでしたね。私が表から帰ってくると、あ

なたはお加代さんに呼ばれて、あの人の部屋へ入っていったでしょう」

「そ、そ、それがどうしたというんだ!」

 おれはまだむかっ腹がおさまらないで、そう怒鳴ってやった。

「まあまあ、そう昂奮せずに──さてあのとき、お加代さんの部屋は真っ暗だった。電気の

故障だということだった。それで、その修繕にたのまれて、あなたはお加代さんの部屋へ

入っていったのでしたね。あのとき私は、自分に少し電気の知識があるものだから、もし

あなたの手にあまるようだったら手伝ってあげようと、部屋の外で待機していたんです

よ。すると真っ暗な部屋のなかから、お加代さんのこういう声が聞こえた。湯浅さん、

ちょっと、この電気の笠を持っていて──離しちゃ駄目よ、ほら、ここのはしを持って──

お持ちになってて、ああ、やっぱりこっちへとっとくわ、危ないから。──ねえ、そうでし

たね。あのとき、あなたは暗がりのなかで、お加代さんの差し出した電気の笠のはしを、

ちょっとお持ちになったんじゃありませんか」

 そういえばそんなことがあった。

「しかし、そ、それがどうしたというんだ」

 おれはなんとなく心が騒いだ。舌が思わずふるえた。


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