「つまりですね、問題はそのときの笠の形なんですがね、お加代さん、どうしたのか、ち
かごろ馬鹿にでかい笠をつけたじゃありませんか。朝顔みたいにこっぽりしたやつで、縁
が巾着の口みたいにひらひらしている……」
おれは突然ぎょくんとして跳び上がった、眼がくらんで、顎あごががくがく痙攣した。
「君は──君は──なにをいうのだ。それじゃ──あのときお加代さんが電気の笠だといっ
て、おれに握らせたのが──」
「つまり、金魚鉢だったんですよ」
おれはなにかいおうとした。しかし舌がまたサボタージュを起こして、一言も発するこ
とができないんだ。すると金田一耕助はにこにこしながら、
「湯浅さん、まあ、お聞きなさい。このことに私が気がついたのは、あなたのあの未完の
傑作のおかげなんですよ。あなたはあの小説のなかに、お繁という女が、金魚鉢につい
て、いかにモノメニヤ的な神経質さを持っているか、ということを書いていますね。とこ
ろが、お繁が殺された現場にある金魚鉢は、あなたがお書きになった位置よりも、約一
尺、つまり金魚鉢の直径ほど、右によったところにあり、しかも、なかの水も半分ほどし
かなかったんですよ。その水が赤く染まっているところから、犯人が金魚鉢で手を洗った
ことはわかっていますが、手を洗うのに金魚鉢を動かす必要もなければ、また、水が半分
もへるわけがない。そこで私はこう考えたんです。犯人は第二の金魚鉢を持ってきて、も
とからあった第一の金魚鉢のそばに置いた。そして第一の金魚鉢の中身を、第二の金魚鉢
に移したが、そのときあわてていたので半分ほどこぼした──と、このことは、床の間のま
えの畳が、じっとりとしめってるのでも想像ができるんです。だが、なぜそんなことをし
たのか、──それはつまり、あなたの指紋を現場に残しておきたかったからですね。そこ
で、昨日警部さんに頼んで、あなたに、どこかほかで、金魚鉢にさわったことはないか
と、訊ねてもらったんです。しかし、あなたはそんな記憶がないとおっしゃる。そこでふ
と思い出したのが、先日のあの電気の笠のエピソードなんですよ」
「それじゃ──それじゃあのお加代が──」
おれはいまにも泣きだしそうになった。あのお加代が──あのお加代が──ああ、なん
ちゅうことじゃ!
「そう、あのお加代と山名紅吉の二人がやったんですね。というよりも、お加代が紅吉を
唆そそのかしてやらせたんですよ。湯浅さん、人間を外貌から判断しちゃいけない。あの
お加代という女は、年は若いが実に恐ろしいやつですよ。私がなぜあのアパートへ招かれ
ていったと思います? 実は剣突剣十郎氏の依嘱をうけて、剣十郎氏のちかごろ悩まされ
ている、正体不明の吐と瀉しや事件を調査にいったんですよ。剣十郎氏はあきらかにある
毒物を少量ずつ盛られていた。放っておけば、その毒物が体内につもりつもって、早晩命
とりになるという恐ろしい事件です。私はちかごろやっと、その毒殺魔が姪めいのお加代
であるという証拠を手に入れた、その矢先に起こったのがこんどの事件で、だから私はは
じめからお加代に眼をつけていたんです。あいつは恐ろしい女ですよ。美しい顔の下に、
蛇のような陰険さと貪どん婪らんさを持った女です。あいつまえから、お繁の金に眼をつ
けていたが、その矢先に、あなたの原稿を見たので、それからヒントを得て、ああいう恐
ろしい計画をたて、山名紅吉を口説き落として仲間に引きずりこんだんです。つまりあな
たが空想のうえで私にしようとしたことを、すなわち自分で殺して私に濡れ衣ぎぬをきせ
ようという、あの空想を、お加代は実際にやって、しかも罪を背負わされる犠牲者にあな
たを選んだのです。どうです、わかりましたか」
「それじゃ──それじゃ、──お加代は自ら手をくだして、──お繁を殺したんですか」
「そう、半分──。半分というのはこうです。お繁は心臓をえぐられて死んでいたんです
が、同時に咽喉のところに縊くくられた跡が残っていた。しかも、その跡は、心臓をつか
れた後でも先でもないことがわかった。しかも心臓をえぐり殺したあとで、首を絞めるや
つもありませんね。つまり、その跡は心臓をえぐると同時にできたものなんです。だか
ら、これは一人の人間の仕業でないことが想像された。どんな器用な犯人でも、細ほそ紐
ひもで首を絞めながら、心臓をえぐるわけにいきませんからね。そういうことからも、共
犯者のないあなたが犯人でないことがわかったし、同時にお加代と紅吉に眼をつけたとい
うわけです。何しろ凄すごいやつですよ、お加代という女は──お繁の後ろからとびつい
て、細紐で首を絞め、そこを紅吉に突き殺させたというんですからね」
おれはもう口をきくのも大儀になったが、それでも突きとめるだけのことは突きとめて
おかねばならん。
「しかも、私に罪をきせるために、兇器として私の短刀を用いたんですね。そして私の寝
間着に血をつけて……」
「そうです、そうです。あの短刀は二、三日前にお加代があなたの部屋から盗み出したも
ので、また、寝間着の血は、あなたが学校へいったあとで、お加代が自分の体からしぼり
とった血をなすりつけておいたんです。利口なやつで、あの寝間着が発見されるのは、
ずっとあとのことになり、それまでには血が乾いているだろうことを知っていたし、ま
た、お繁が、自分と同じ血液型だということを、隣組の防空やなんかでちゃんと知ってい
たんですね」
おれは悲しいやら、恐ろしいやら、わけがわからん複雑な気持ちで、しいんと黙りこん
でいたが、するとふいに金田一耕助が、にこにこ笑いながら、こんなことをいった。
「どうです、湯浅さん、あなたはこれでもまだ蝙蝠が嫌いですか」
正直のところ、おれはちかごろ蝙蝠が大好きだ。夏の夕方など、ひらひら飛んでいるの
は、なかなか風情のあるものである。
それに第一、蝙蝠は益鳥である。 分享到: