福田屋というのは江戸時代からながくつづいた老舗しにせで、そこで売出す宝饅まん頭
じゆうというのは、岡山でもなだかい名物になっていた。ところが、戦争中砂糖の輸入が
杜と絶ぜつしたころから、しだいに店が左前になって、いまではすっかり没落している。
松代はしかしそのまえから、神戸にある親戚の葉は山やまといううちへあずけられてい
た。
葉山家の次男譲じよう治じというのと縁談がまとまっていて、松代はそこへ花嫁修業の
ためにひきとられていたのだ。当時、譲治は私立大学の機械科を出て、航空機会社の技師
をしていた。
ところがそこへ福田家の没落がやってきて、にっちもさっちもいかなくなったところか
ら、妹の由紀子も葉山家へあずけられることになった。
そこで葉山家では家が手狭になったところから、つい近所にもう一軒かりて、そこへま
だ式はすんでいなかったけれど、譲治と松代を住まわせ、由紀子もそのほうへ預けられて
いた。
そこへ昭和二十年三月のあの大空襲がやってきたのだ。不幸にも葉山家のある付近一帯
は猛火につつまれ、譲治は火にまかれて死んだ。そして、松代もそれ以来、ゆくえがわか
らなくなっていたというのが由紀子の話なのである。
お柳さまはこの話をきいてひどくよろこんだ。福田屋といえば薬師の湯に劣らぬ名家で
あった。そこの娘ならば家柄としても申分なかった。
ただ、お柳さまにとって腑ふに落ちないのは、なぜそのことを松代がひたかくしにかく
していたかということである。由紀子の話が真実とすれば、そこにはべつに秘密にしなけ
ればならぬ理由は、いささかなりともなさそうに思われる。それがお柳さまにとっては不
思議であった。
しかし、それも考えようによっては、女のせまい心から、福田屋の娘ともあろうもの
が、温泉宿の女中などしていることを恥じたのかもしれない。
それともうひとつ考えられるのは、松代と譲治とのあいだに、もっと深い関係があった
のかもしれない。たとえ婚約のあいだがらとはいえ、まだ式もすまぬうちに、そういう関
係になっていたのを、ものがたい松代は恥として、それを知られることを恐れていたので
はあるまいか。……
しかし、それもあいてが死んでしまったいまとなっては、なんの障害があろうか。むろ
ん処女でないというのは残念だが、おたがいに好きあっていれば、それもたいして問題に
はならないだろう。
そこでお柳さまは手をまわして、福田屋のことを詳しく調べてみたが、由紀子の話にす
こしも間違いはなかった。
松代はたしかに福田屋の長女であり、葉山譲治という婚約者があったが、それも三月の
神戸の大空襲で死亡したということも、ハッキリたしかめることができた。その譲治と肉
体的に関係があったかなかったか、そこまではたしかめようもなかったが。……
これで貞二君との結婚に、なんの障害もないことになったので、お柳さまは大喜びだっ
たが、そこへまた思いがけない障害が持ちあがって、お柳さまを失望のどん底へ叩たたき
こんだ。
由紀子と貞二君がひとめをしのんで、おくの納なん戸どや土蔵へひそむようなことが、
おいおいひとめについてきた。
由紀子というのは姉とちがって、派手で、明るい美貌の持主だが、気性も大胆で、積極
的だった。キャバレーやダンス・ホールを渡りあるいてきているだけに、男の心をかきみ
だすコケティッシュなところもたぶんにそなえていた。そういう女にかかっては、貞二君
のごときはひとたまりもなかった。
由紀子は貞二君と姉との関係、お柳さまの気持ちなど、百も承知のうえで、貞二君を誘
惑したらしい。