「はあ、しかし、そのまえに貞二君に一言注意しておきたいんですがね。由紀ちゃんが譲
治君と無理心中をはかったからって、由紀ちゃんが譲治君に惚れてたなんて考えたら大間
違いですよ。由紀ちゃんは譲治君なんかにちっとも惚れちゃいなかった。いや、あのひと
は男に惚れるような性質じゃなかったんです」
「それじゃ、なぜ無理心中など……?」
「なあに、じぶんがいなくなると譲治君が、ここにいる松代君のものになる。それが由紀
ちゃんにゃくやしかったんです。あのひと、ちゃんとそういってましたからね」
啓吉は気の毒そうに松代のうなだれた顔を見ながら、
「由紀ちゃんはいつもそうだったそうです。小さいときから姉さんの幸福、仕合せが、う
らやましく、ねたましく、姉さんのもっているものは横奪りしなきゃ気がすまなかったそ
うです。それが昂じて長じてからは、姉さんの男を片っぱしから横奪りして、姉さんの悲
しむ顔を見るのがなによりの楽しみになったそうです。だから、そこにいる貞二君のばあ
いでも、べつに好きでもなんでもなかった。ただ、じぶんがここを出ていくと、姉さんが
仕合せになる。それがくやしいと、これは由紀ちゃんがハッキリぼくにいったことですか
ら間違いはないでしょう」
さすがに貞二君は面目なさそうに顔をそむけた。顔から頸くび筋すじから火が出るよう
に真っ赤になっているのが笑止だった。
「それで、君はこっちへきてから、由紀子と関係が復活していたの」
「はあ、それはもちろん……あのひとはそんなことちっとも構わないひとですし、それに
ぼくに弱味を握られてるもんですから……」
「田代さん」
と、金田一耕助がそばから言葉をはさんで、
「三月の神戸の大空襲の夜のことを、もう少し詳しくお話しねがえませんか」
「そうそう、それをお話しするためにここへ顔を出したんでしたね」
と、田代は思い出したように、
「いまもいったとおり、由紀ちゃんは譲治君を松代さんにわたしたくないばかりに殺して
しまったのです。そして、じぶんも死のうとしたんですが、元来、あのひと自殺などでき
るひとじゃありません。薄手を負うて苦しんでいるところへとびこんだのがわたしなんで
す。由紀ちゃんは助けてくれとわたしに縋すがりつきました。助けてくれというのは、傷
のことではありません。傷はどうせ浅いのですから。……由紀ちゃんの助けてくれという
のは、譲治君殺しの罪をひきうけてくれというのでした。これにはぼくも驚きました。い
かにわたしがあのひとに惚ほれてるとはいえ、あまりの身勝手に腹が立ったのです。そこ
でふたりが押し問答をしているところへ、フラフラと入ってきたのが松代さん、あなたで
した」
「おお、おお、それで……それで……?」
と、大きく、強く喘あえぎながら膝を乗りだしたのはお柳さまである。
「田代さん、田代さん、それで松代に罪をひきかぶせるように細工をおしんさったんです
か」
「はあ、それを思いついたのも由紀ちゃんでした。わたしはじっさいあのとき驚いたので
すが、由紀ちゃんは松代さんに夢遊病の性癖があることをしっていたんです。それで、松
代さんに罪をなすりつけようと、その手に血まみれの庖丁を握らせたんです。そして、わ
たしにすぐ出ていくようにと……」
「ああ、それじゃ松代は……それじゃ松代は……?」
「ご安心ください。松代さんにはなんの罪もないのです。この話はけっして噓うそじゃな
いんです。その証拠には、ぼくはその夜の空襲で、このように醜い顔になったんです。そ
れにも拘かかわらず由紀ちゃんは……あの面喰いの由紀子は、死ぬまでぼくのものだった
んです。こっちへきてからも、ぼくの自由になっていたんです。由紀ちゃんはぼくに殺人
の秘密を握られている。だからこういう醜い男でも、眼をつむって抱かれなければならな
かったんです」
田代は醜い頰をなでながら物もの凄すごい微笑をうかべた。ゾーッと鳥肌の立つような
薄気味悪い微笑であった。
「ときに、田代さん」
と、金田一耕助が思い出したように、
「あなた、天狗の鼻の本柵が鋸でひききってあったことをお聞きじゃありませんか」
「ああ、あれ!」
とつぜん、田代の瞳に怒りの炎がもえあがるのを見て、
「あなた、あれについてなにかお心当りが……」
「あれは……あれは……由紀子がぼくを殺そうと企んだんです」
「ああ、そう、それではそのいきさつをお話しねがえませんか」
「はあ……」
田代はハンケチで額の汗をぬぐうと、
「けさ、天狗の鼻の木柵が鋸でひききってあって、貞二君があやうくそこから顚てん落ら
くするところだったときいたとき、わたしは怒りのためにふるえました。ぼくたちはゆう
べ一時ごろ、天狗の鼻で逢う約束だったんです。由紀ちゃんはこういいましたよ。あたし
が磧かわらからハンケチをふるから、あなたは木柵から身を乗り出して、おなじようにハ
ンケチをふって頂戴と……」
「それで、あなたは出掛けなかったんですか」
「いいえ、出かけましたよ。一時半ごろここを出かけたんです。ところが天狗の鼻へいき
つくまえに、由紀ちゃんの死体が淵にうかんでいるのを見つけたんです。それで、そこか
ら引返してきたんですが、もし、そうでなかったら……ぼくが泳ぎのできないことは、由
紀ちゃんもよくしっていましたから……」
「ああ、ああ……」
お柳さまがふたたび重い口で叫んだ。
「松代はなんにもしらなんだ。松代はなんにもしなかった。松代はやっぱりわたしの思う
ていたとおりじゃ。松代は生き娘むすめじゃった。由紀子は……由紀子は……」
「あっ、ご隠居さん!」
磯川警部と金田一耕助が左右から腕をのばしたとき、お柳さまは蒲ふ団とんのはしをつ
かんで、まえのめりにのめっていた。