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発端 二(3)
日期:2023-12-22 15:40  点击:260

 それにはもうひとつの理由があるのだ。

 一人伯はすっかり度忘れしていたのだが、加奈子と結婚してからまもなく、彼女のたの

みで彼女の遠縁にあたる、尾形静馬という青年をこの名琅荘に世話してあった。

 静馬は果樹園に興味をもち、その実地修業のために数年来ここの農園に働いているのだ

が、いまでは有数の働きてとして、糸女の一番のお気にいりになっていることを、一人伯

はこちらへきてから発見した。静馬は加奈子より三つ四つ年下で、むろんまだ独身だった

が、骨組のがっちりとしたよい体格をしており、男振りも悪くなく、ことにアノ方もさぞ

強かろうと思わせるような肉づきだった。

 ああ、アノ方。……

 思えば一人伯の猜疑も邪推も嫉しつ妬とも、万事はそこから出発しているのである。十

六の年と齢しに、女中を手ごめにしたという経歴をもつ一人伯のそれからの生涯は、もの

すさまじい漁色と荒こう淫いんの歴史だった。それでいて一人伯は、

「死ぬまぎわまで五、六人の妾をもっていたおやじにくらべると、おれなんざ罪のかるい

ほうだよ」

 と、うそぶいていたが、しかし、一人伯はまちがっている。

 なるほど、一人伯の父の種人伯爵も、ひとなみはずれた漁色家だったが、かれは若年か

ら壮時へかけて、鍛えに鍛えた体をもっていたのだ。ふところ児としてそだった一人伯

が、はじめて女の肌をしり、学業もよそに女漁あさりをはじめた年ごろには、種人伯爵は

まだ女の味もしらずに、武術修業に余念がなかったことだろう。

 それはともかく一人伯はこの一、二年、急激にアノ方の欲望におとろえをかんじはじめ

ているのに気がついていた。それは長年の漁色生活のうえに、若く美しい妻をめとって、

たぶんにムリを重ねてきた結果も手伝っているのだろう。

 慎みぶかい加奈子は色にこそ出さね、夫婦として同どう衾きんする以上、妻の肉体が不

満にのたうちまわっていることを、夫としてしらぬはずはない。ことに加奈子はひと一

倍、アノ方の欲望の強い体質にうまれついているのだ。

 一人伯が妻にたいして劣等感をおぼえ、妻が自分を軽蔑しているときめてかかったの

は、すなわちそこに端を発するのである。そこへもってきて、いかにもアノ方の強そうな

若い男が、おなじ邸内に起居しているのだ。しかもその男は糸女のお気にいりであり、そ

の糸女を妻の加奈子は、かげではおばあさまと呼んでご機嫌をとっている。糸女は糸女で

じぶんをばかにし、鼻を明かすことばかりかんがえている。……と、一人伯はかってにそ

うきめていたのである。

 一人伯はいつか奇妙な幻想をいだきはじめた。

 尾形静馬をここへ呼びよせたのも、早晩、自分たちが落らく魄はくして、ここへ住むよ

うになるであろうことを予想したうえ、糸女が画策したのではないか。妻の加奈子がこの

さびしい山やま家が住ずま居いに、案外不平もいわずに住んでいるのは、尾形静馬がいる

せいではないか。すなわち加奈子は静馬と不義をはたらいており、それは糸女の取りもち

である。……

 おそらく一人伯は嫉妬にのたうちまわっていたのだろう。それでいて見え坊の一人伯

は、そういう気持ちをひとにしられるのを極端に恥じ、表面は洒しや々しや落らく々らく

とふるまっていたので、だれもかれがそのような恐ろしい猜疑になやまされているとは気

がつかなかった。だから、抑圧されたその猜疑が、あのような凶暴さで爆発したときに

は、さすがの糸女も仰天して、つい善後策をあやまり、その結果、いまもってこの事件に

一いち抹まつの疑惑をのこすはめになったのである。

 それは昭和五年の秋、十月二十日の夕方のことだった。名琅荘の奥庭の東あずま屋やか

らとつぜん、ただならぬ怒号と悲鳴がきこえてきた。その怒号をいちばんまぢかに聞いた

庭番のじいやが、のちに警官のまえで証言したところによると、

「それはたしかに御前様のお声で、不義者! 不義者! と、二、三度お叫びになったよ

うでございました。それにつづいて、奥様の……たぶん奥様でございましょう。きゃっと

いうような叫びがきこえましたので……」

 それはともかく、ただならぬ怒号と悲鳴に奉公人が駆けつけたときには、すでに万事終

わったのちだった。そこには加奈子夫人と一人伯が斬り殺されて、おそろしい血だまりの

なかに倒れていた。


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07/03 19:51