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発端 二(4)_迷路荘の惨劇(迷路庄的惨剧)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337

 それだけでも、全身の血を凍らせるような恐ろしい光景だのに、そこにはさらに恐ろし

いものがころがっていた。それは肩の付け根からプッツリ斬り落とされた左の腕である。

その左の腕がつけている作業衣の片かた袖そでから、それが尾形静馬の片腕であることは

あきらかだった。しかし、かんじんの尾形静馬の姿はどこにも発見されなかった。

 だが、その場の情景から、つぎのような事情が想像されるのである。

 その東屋でたまたま尾形静馬と加奈子夫人が、話をしているところをみた一人伯は、嫉

妬の思いにたえかねて、日本刀をふるって斬り込み、一刀のもとに加奈子夫人を斬り殺

し、また静馬の左腕をも斬って落としたが、そのとき刀を取りおとすかなにかしたのだろ

う。それを静馬がひろいあげ、あべこべに一人伯を一刀のもとに斬りおとしたにちがいな

い。

 凶器として使われた日本刀は、のちに東屋のすこし奥の植え込みのなかから発見された

が、それははたして一人伯爵の秘蔵の銘刀だった。

 それにしてもかんじんの尾形静馬はどこへいったのか。

 問題はそこにあるのだ。

 東屋からつづいている血の跡をたどっていくと、それは名琅荘の背後をささえる崖がけ

のふもとの、洞ほら穴あなの入り口までつづいていた。この洞穴ばかりは種人伯爵が掘ら

せたものではなく、天然の洞どう窟くつで、鬼の岩屋とよばれていた。しかも、いまだそ

の奥底をきわめたものはなく、たぶん富士の人穴までつづいているのだろうというものさ

えある。富士の人穴は大げさとしても、そうとうふかい洞窟であることはたしかで、ふだ

んは入り口に柵さくをめぐらせ注し連め縄なわが張ってあるのだが、その柵がやぶられて

いるところをみると、静馬はこの洞窟のなかへ逃げ込んだのにちがいない。

 このときすぐに一同が、この洞窟のなかへ踏み込んでいれば、案外たやすく静馬をとら

えることができたかもしれない。なにしろ相手は重傷を負うているのだから。しかし、み

んな気味悪がってだれひとりとして鬼の岩屋のなかへ踏み込んでみようというものはな

かった。それも無理はないのであって、あの日本刀が植え込みのなかから発見されたの

は、それよりよほど後のことだった。だから、その時分にはまだ尾形静馬は、血刀を引っ

さげているものだとばかり思われていた。これでは、洞窟のなかへ踏み込んでみようとい

う、勇気が出なかったのも無理はない。

 おまけにさっきもいったとおり、さすが気丈者の糸女も、この恐ろしい突発事件には動

揺したとみえ、すぐに警察にしらせるという才覚が出なかった。そこには家名にたいする

考慮もあったのだろう。東京の親しん戚せきたちと電話でいろいろ評議をしたのち、やっ

と警察へとどけて出たのはその翌日の正午過ぎのことだった。

 そこで警察では改めて、警官隊が決死隊を組織して、洞窟のなかへ潜り込んだが、尾形

静馬の姿はついに発見できなかったのである。ただこの捜索でわかったところでは、この

洞窟の奥には、冥めい途どの井戸とも、地獄の井戸ともよばれる底しれぬ深い井戸があ

り、そこから悪いガスが吹き出しているということである。血けつ痕こんはこの井戸のそ

ばまで点々とつづいており、だから、おそらく尾形静馬はその井戸へ身を投じて、自決し

たのだろうといわれている。

 ここに哀れをとどめたのは加奈子夫人で、医師の検視の際、彼女が妊娠三か月の身であ

ることがわかり、これには涙に袖をぬらさぬものはなかった。妻の貞操を疑った一人伯

は、はたしてこの事実を知っていただろうか。あるいはそれを知っていて、それをもし静

馬のタネと疑ったのではあるまいか。

 しかし、およそ加奈子をしるほどの人物なら、あたまから不義うんぬんを否定した。静

馬の人柄をしるひとびとも同様だった。

「御前様は気がふれていられたのだ。あんなに気高い、おやさしい奥様が不義などと

は……」

 と、一人伯の不義者! 不義者! という怒号を聞いたという庭番のじいやは、そう

いっておんおん泣いたという。

 じっさい、また問題の東屋というのが、なるほど庭の奥に位置しており、先代種人伯爵

の例の用心ぶかさから、よほどそばまでいかぬと、そこに東屋があることさえわからぬよ

うに設計されていたが、さりとて、あまり遠からぬところに庭番のじいやが鋏はさみを働

かせており、時刻もたそがれまえのこととて、不義の男女が忍びあうには、あまりうまい

場所とはいえなかった。

 さて、この事件の際、一人伯のひとり息むす子この辰人はどうしていたのか。かれは品

川の本宅が、親戚中の共同管理のもとにおかれ、父と継母が名琅荘へひきうつると同時

に、実母の里方、天坊子爵家へひきとられ、そこから学習院の高等科へかよっていた。継

母加奈子より七つ年少だったという。

 それにしても、尾形静馬はほんとうにあの洞窟の奥で自決したのであろうか。ひょっと

するとかれはまだ、どこかに生きているのではなかろうか。ひとの口には戸が立てられぬ

というが、当時、その地方ではつぎのような風説が、まことしやかに口から口へと伝えら

れていた。

 尾形静馬は死んだのではない。静馬は御後室様の秘蔵っ児だったから、ひそかに御後室

様が助け出し、傷の手当てをしたのちに逃がしたのだ。なんでもアメリカがえりのひと

が、むこうで片腕のない、尾形静馬にそっくりの男に出会ったということだ。……

 さて、以上述べたところがこれからお話ししようとする、金田一耕助探偵譚の前奏曲と

もいうべき事件である。


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