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第一章 醜聞 二(1)_迷路荘の惨劇(迷路庄的惨剧)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3335

 前にもいったとおり、名琅荘は駅から一里強の距離である。馬車だと三十分とはかから

ない。

 いま金田一耕助を乗せた馬車はひなびた町を通りぬけ、小高い丘に建っている名琅荘を

すぐ眼のうえに望む、裾野の疎林のほとりを走っていた。名琅荘のすぐむこうには、真っ

白に雪をいただいた富士の峰がくっきりと空にうかびあがっている。

 金田一耕助はこんなにちかぢかと、富士山を仰いだことはない。晩秋の空は抜けるよう

に晴れていて、その紺こん青じようの空をバックに、突とつ兀こつとしてそびえ立つ富士

の姿は、左右にながく裾をひいて、頂上はすでに雪をかぶっていた。

 金田一耕助はその姿のあまりの美しさにしばし見とれて、さっきふっときざした不安の

思いを忘れていたが、そのとき、金田一耕助の座っている座席より、一段高くなってい

る、まえの御者台にいる美貌の御者が、なかばこちらに顔をふりむけながら、

「金田一先生、先生はぼくをお忘れですか」

「え?」

 と、どぎもを抜かれたように金田一耕助は視線を富士山からまえの御者台にうつした。

美貌の御者はなかば前方を、なかば金田一耕助のほうを見ながらにこにこと笑っている。

「ええと、君はぼくを知ってるの」

「いやだなあ、金田一先生たら。譲治ですよ。ほら、風間先生のところでお世話になって

た混血児の譲治ですよ」

「あっ、ああ、あの戦災孤児の……」

「そうです、そうです。風間先生に救っていただいた混血児の戦災孤児でさあ」

「ああ、そうだったのか。これは失敬。苗みよう字じはたしか速はや水み君だったね」

「おや、先生、こんどはいやに物覚えがいいじゃありませんか。ふっふっふ」

 と、譲治はうれしそうに笑って、

「ぼくなんかだアれも苗字でよんでくれるひとはありませんや。譲治、譲治はまだいいほ

うで、なかにゃジョーというやつもいますよ」

「そりゃ君の愛称だから。……しかし、そうだったの。君、篠崎さんのところにいたの」

「風間先生が篠崎さんに預けてくだすったんです。こちとらどうせ土建業なんかむきませ

んや。現場はむりだし、と、いって、デスクにむかって帳面付けなんて柄じゃありません

からね」

「なるほど。それで風間から篠崎さんに頼んだんだね。ぼくはちっとも知らなかった」

「篠崎さんがホテルを開業なさるってんで、それじゃこいつにむいた仕事があるんじゃな

いかって、風間先生が口をきいてくだすったんです」

「なるほど。それでこの仕事どう?」

「先生、ぼくこうみえても東京のTホテルで、一年ほど見習い修業をさせてもらったんで

すぜ。成績優秀って折り紙がついてるんでさあ」

「そう、それはよかった。じゃ、この仕事に満足してるんだね」

「この仕事、ぼくにむいてると思うんですよ。おやじさんなんかもぼくのことを、ボーイ

長になるつもりでやってみろといってくれるんです」

 おやじさんというのは篠崎慎吾のことらしい。

「ボーイさんは何人いるの」

「ぼくをいれて四人ですがまだだれも来ていないんです。まもなくやって来るでしょうが

ね」

「それじゃ譲治君の責任重大ってわけだね。君、いくつになったの」

「かぞえで二十はたちですよ」

「そう。そういえばあの時分からみれば、ずいぶんたくましくなったねえ」

「たくましくなったあ……? 先生、ぼくほんとうにたくましくみえますか」

「ああ、見えるとも。人間だれしも年をとると、それだけ大人おとなになるのは当然だ

が、譲治君の場合、大人になったと同時にたくましくなったよ。だからぼくも見違えち

まったんだ」

「先生、ありがとうございます。ぼく、たくましくなったなんていわれたのははじめてで

す。そうだ、ぼくたくましくならなきゃ……」

 譲治はうれしそうに、ヒューッとひと声口笛を鳴らすと、いま金田一耕助からたくまし

いとほめられた右腕をあげて、馬の尻しりにひと鞭くれた。いままで徐行していた馬車

が、そこで急にパカパカ速度をはやめた。

 ここでちょっと断っておくが、いま譲治が先生と呼んでいる風間というのは、風間俊六

という土建屋である。金田一耕助とは東北地方の旧制中学の同窓で、中学校を出るとふた

りとも、東京へ出てきてそれぞれちがった道を歩み、戦前はつかず離れずという仲だった

が、昭和二十一年の秋ごろはからずも巡りあって、それいらい金田一耕助が風間俊六の二

号さんだか、三号さんだかの経営している大森の山の手にある割かつ烹ぽう旅館、松月と

いうのに居候の権ごん八ぱちをきめこんでいるということは、「黒猫亭事件」のなかで書

いておいた。


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