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第一章 醜聞 二(2)
日期:2023-12-22 15:51  点击:243

 風間俊六というのはこれまた戦後派の傑物のひとりで、終戦直後はそうとう悪どいこと

もやったらしいが、いまでは風間土建といえば一流とまではいかないまでも、二流の上く

らいの土建会社にのしあがっている。金田一耕助のように特異な脳組織をもっていなが

ら、妙に生活力にとぼしい男にとっては、たのもしいパトロンのひとりだった。

 金田一耕助がこれから訪ねていこうとしている篠崎慎吾とは、ヤミ商売をやっていた時

代からの盟友らしく、いわばおなじ穴の狢むじなというやつである。

 速水譲治は横浜でうまれた日米の混血児である。父はアメリカ人のマドロスだったが、

母はべつにいかがわしい稼か業ぎようの女ではなく、ふつうの堅気の娘で、昭和の初年横

浜の某デパートへ勤めていた。マドロスが一年ほど横浜に滞在中恋におち、同どう棲せい

しているうちに譲治をうんだ。昭和六年のことである。

 譲治がうまれるまえにマドロスはアメリカへかえって、二度と日本へやってこなかっ

た。つまりピンカートンと蝶々夫人を地でいったわけで、港町ではよくあるドラマであ

る。

 譲治の母は譲治の父と同棲するにおよんで、親から勘当され、親戚中から見放されてい

たので、譲治は混血児であると同時に私生児でもあった。そこからこの青年の屈辱と迫害

の人生がはじまった。

 昭和二十年の春、横浜の大空襲で母をうしなった譲治は、よりいっそうの屈辱と迫害に

耐えなければならなかった。

 昭和二十一年ごろ譲治は宿もなく、職もなく、友人もなく、空腹に悩まされながらヤミ

市で、コソ泥なんかやりながら、かろうじて露命をつないでいるところを、風間俊六にめ

ぐりあってひきとられた。なんでも横浜駅で風間の鞄かばんをかっぱらおうとして、逆に

とっつかまったのが縁だということである。

 金田一耕助がはじめて譲治に会ったのは、松月で世話になるようになってからで、譲治

はちょくちょく本宅から、大森の妾しよう宅たくへ風間の使いでやってきていた。

 はじめて会ったとき金田一耕助は、その愛らしい美貌におどろいたが、混血児とは気が

つかなかった。譲治は父の血より母の血をより多くうけついでうまれたのだろう。色の白

いのは父譲りだろうが、きめの細かい肌はだは日本人のものだった。髪も瞳ひとみも黒

かった。アメリカ人と日本人が混血すると、こういうラテン系みたいな美貌を創造するの

かと思ったことがあるが、いま会ってみるとその骨格のたくましさは、やはりアングロ・

サクソンのものだろうか。身長も五尺六寸くらいある。

 昭和二十一年ごろの譲治は、まだ骨組みもできておらず、華きや奢しやで、どこか脆ぜ

い弱じやくな感じがあり、とくにチラッ、チラッとよく動く瞳が、つねに相手の気色をう

かがっており、相手が拳こぶしをふりあげようものなら、すぐにも尻しっ尾ぽをまいて逃

げ出そうという姿勢を示しているようで哀れであった。

 その瞳もいまではしっかり落ち着いている。

 人間の人格を形成するについて大事なことは、他からあたえられる恩恵だけではなく、

他からうける信頼だということを、いまの譲治が示していないだろうか。たかが成り上が

りものの土建屋をつかまえて、先生とよぶゆえんのものは、そこにあるのだろうと金田一

耕助は考えた。

「ときに譲治君はいつごろからこちらへ来てるんだね」

「はあ、そろそろ三月になります。しかし、先生は風間先生から聞いていらっしゃらな

かったんですか。ぼくのことを……」

「ああ、ここんところしばらく風間には会っていないんでね」

「じゃ、どういう……?」

 と、いいかけて譲治は急に気がついたように、

「失礼しました。ぼくなんか、お客さんとあんまりなれなれしく話しちゃいけないんで

す」

唇くちびるをかむような調子だった。

「なあに、いいさ、君とぼくとの仲ならね。あれ、譲治君、どうしたのさ」

 馬車はいつか名琅荘とおなじ水平面へのぼっていて、むこうに宏こう壮そうな建築がみ

えていた。名琅荘の西欧風な建物は、疎林のなかにうかぶ浮城のようにみえ、その背後に

は饅まん頭じゆうを伏せたような小高い丘が、こんもりと盛りあがっているが、その丘の

麓ふもとから名琅荘の周辺へかけて、疎林が一面にひろがっている。譲治が手た綱づなを

ひきしめたとみえ、馬車はいつか左にまばらな林をのぞむ径みちの途中にとまっていた。

 譲治の視線を追って、金田一耕助がそのほうに視線をやると、疎林のなかを駆けぬけて

いく、ひとりの男の後ろ姿が見えた。黒っぽい洋服をきた男だったが、後ろ姿だから顔は

見えない。背中を丸めるようにしているうえに、蓬ほう々ほうと生い茂った雑草に下半身

を埋めているので、背の高さなどもわからなかった。

 男の姿はすぐに疎林をぬけて、建物の背後に見えなくなったが、その姿がなんとなく、

金田一耕助の印象にのこったのは、雑草のなかを駆けぬけていく、男の洋服の左の袖が、

妙にヒラヒラしているように思えたからである。まるで風に吹かれるように。……

「どうしたの、譲治君、君、あのひとを知ってるの」

「ああ、いや……」

 あとから思えばそのときの譲治の声は、妙に咽の喉どにひっかかっているようであっ

た。

「誰があんな林のなかを、歩いているのかと思ったものですから……ハーイ!」

 と、譲治が声をはりあげて鞭をふるったので、馬車はまたパカパカと歩きはじめ、それ

からまもなく壮麗な名琅荘の正面玄関に横着けになった。

 数段の石段のうえに太い二本の円柱をもった、いかにも明治の遺物らしい、威風堂々た

る西欧風の建物だった。

 金田一耕助が腕時計をみると、時刻はまさに三時。駅から二十五分かかったわけであ

る。


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07/03 20:01