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第二章 抜け穴から消えた男 二(3)
日期:2023-12-22 15:55  点击:241

 倭文子はあいかわらずつめたく取りすましている。金田一耕助はその顔からふとお能の

面の小こ面おもてというのを思い出していた。美しく取りすましたなかに、どこか皮肉な

微笑を底にひめている。……

 糸女はきょとんとした顔で、そのふたりを見くらべている。人間もこれくらい年と齢し

をとると、どこか妖よう怪かい味みをおびていて、なかなか心の奥底をのぞかせないもの

らしい。

 金田一耕助はギコチなく、咽喉にからまる痰たんをふっきるような音をさせながら、

「ときにさっきどなたかこのお屋敷のなかで、フルートを吹いていらしたようです

が……」

「ああ、それなら柳町さんでしょう。辰人さんの義理のお母さんの弟さんにあたるか

た……柳町善衛さんといって、フルート奏者としてはそうとう有名だそうですが、金田一

先生はご存じじゃございませんか」

「さあ、いっこうに……」

 金田一耕助はゆっくりと、頭のうえの雀すずめの巣をかきまわしながら、たゆとうよう

に答えた。

「悪魔が来たりて笛を吹く」の事件の主人公、椿英えい輔すけ元子爵もフルート奏者で

あった。こんなことはもちろん暗合であろう。しかし、斜陽といわれる元貴族のなかに、

音楽の愛好者が多いということは、必ずしも偶然とはいえないかもしれない。

 金田一耕助はそのとき漠然とそんなことを考えていたが、あとから思えば金田一耕助が

あのとき、フルートの音をきいたということが、それからまもなく発見された、世にも変

てこな殺人事件の犯人をしぼっていくうえにおいて、ひとつの重要な決め手となったので

ある。

「ところで……と、わたしに御用とおっしゃるのは……?」

 金田一耕助がやっと核心にふれると、

「さあ、そのことですがな」

 篠崎慎吾も待っていたように上体をのりだし、

「ここにちょっと妙なことが起こりましてね、お糸さんが気味悪がって、むやみに気をも

むもんですから、朝っぱらから失礼だとは思ったのですが、電報を差し上げたようなわけ

で……」

「電報にあった事件というのは、その妙なことというやつですか」

「そういうことですね」

「さっそくですが、その妙なことというのを聞かせていただきましょうか」

「承知しました」

 慎吾は手て酌じやくでペロリとひと息に洋酒をあおると、

「金田一先生、あなたは……?」

「いや、ぼくはもう結構です」

 金田一耕助のまえには、さっき倭文子がついでくれた黄こ金がね色いろの液体が、まだ

グラスに半分以上ものこっている。

「ああ、そう」

 と、慎吾は無器用な手つきで、自分のグラスに置きつぎをしながら、

「わたしたちがここへ集まるということは、一週間ほどまえからわかっていたんです。き

のうの土曜日からゆっくりここで週末を楽しもうというわけですな。ところがここに妙な

ことが起こったというのは、一昨日、すなわち金曜日の朝方、このひと……ここにいるお

糸さんに東京のわたしから、電話がかかってきたそうです」

「そうですとおっしゃるのは、あなたに憶おぼえがないんですか」

「そうです、そうです。だれかがわたしの名前をかたったんですな。ところがその内容と

いうのが……」

「ああ、ちょっと」

 と、金田一耕助がさえぎって、

「そうするとお糸さんはひと足さき、つまり、金曜日にはもうここへきていられたんです

か」

 慎吾はちょっと啞あ然ぜんとした顔色で、金田一耕助の顔を見直したが、かるく頭をさ

げると、

「いや、これは失礼しました。言葉が足らんで……。それじゃ、このひとのことからお話

ししましょう。このひとはここの家つき娘なんです。わたしゃこのひとぐるみこの家を

買ったんですよ」

 と、慎吾は眼尻に皺をたたえてわらっている。糸女は品のいい顔をほんのり染めると、

「あたし、ここを追い出されると、どこにもいく所がございませんの。それで旦那様にお

願い申し上げて身ぐるみ買っていただきましたの。なんのお役にも立たぬこんな厄介ばば

あをね。ほ、ほ、ほ」

 と、巾着のような口をすぼめて低くわらう。さすがの金田一耕助も、これには思わず眼

を見張って倭文子を見たが、倭文子はあいかわらずつめたく取りすましている。


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